パリのルネ・クレマン監督(左)の豪邸でインタビューする筆者(中)。(1977年6月22日)

 

 名匠ルネ・クレマン監督にインタビューした時、監督は、「殺人という大仕事をやった後は、お腹が空くものなんだ」と断言した。私はすかさず、「なんでそれが分かるんですか? まさか監督は?」と質問。

 

 監督は笑って手を横に振りながら、「ノン、ノン。私は心理学を学んでいる。それに基づいて映画を創っている。ある捜査ファイルを読んだ時、面白い案件を発見した。殺人があった家のキッチンで、歯形の付いたりんごが見つかった。犯人は殺人を犯した後に、そのりんごにかぶりついていたんだ。その後の捜査で、歯形から犯人が特定され、逮捕につながったという。私はその例を、いつか映画で生かそうと考えていたんだ」と答えた。

 

 クレマン監督の傑作「太陽がいっぱい」(1960年)で、トム・リプリー(アラン・ドロン)は、大金持ちのフィリップ(モーリス・ロネ)をヨットで刺殺する。その遺体を処理した後に、急にお腹が空いて、りんごにかぶりつく。クレマンは自分が記憶した事実を、その名シーンに生かしていたのである。

 

 「太陽がいっぱい」には、もう一つの殺人と食事のシーンが用意されている。フィリップの友人を、トムは布袋の置物で撲殺する。その時、友人が持っていた袋が落ちて、生の鶏肉や野菜が床に散らばる。時間がたって、トムはその具材を使って調理し、死体の横で、できた料理をガツガツと猫のようにほおばる。その描写が、トムの追い詰められた心理や凄みを表現して、実に生々しい。これぞ映画的リアリティー!

 

 それで思い出されるのは、オウム真理教が起こした事件である。弁護士一家が、信徒3人によって殺害され、日本海側の山中に遺棄された。彼らは仕事を終えた帰り、片山津温泉に泊り、ズワイガニをたらふく食べたと報道された。

 

 それを聞いたテレビのワイドショーの女性コメンテーターが、「殺人を犯した後に、そんなカニなんて食べれる訳がないじゃないか」と反論した。私はこのコメンテーターに、クレマン監督から聞いた言葉を教えてあげたい気がした。

 

 ところで、「歯形から犯人が特定された」という話は、私を大いに刺激した。この事実をヒントに、一冊、推理小説が書けるのではないかとさえ思った。ところが、そううまくは行かなかった。なぜなら、「刑事コロンボ」の新シリーズ第7作『完全犯罪の誤算』(90年)で、このトリックがすでに使ってあったからだ。

 

 食い意地の張った弁護士(パトリック・マクグーハン)は、自分が犯した殺害現場でチーズを一口かじって、そのカケラを残してきた。その歯形から現場に居たことが立証される。私の推理小説家としてデビューする夢は、かくして、「刑事コロンボ」によってついえたのである。