パリに居た頃、「キネマ旬報」の白井佳夫編集長から国際電話がかかって来た。「今度、小説家の池波正太郎さんがパリへ行く。彼は大変な映画ファンで、仕事を兼ねた旅行だそうだ。君の電話番号を教えといたので、連絡があったらパリを案内してやってくれ」。当時は、パリに来る日本人も少なかった。そこで私はパリに来た日本人のお世話を全面的に引き受けていたのだ。

 

  池波さんと言えば大変なグルメではないか。どのレストランに連れて行って、どの場所にガイドしようかと真剣に考えたものだ。しかし結局電話は来なかった。もしあの時、電話があったなら、池波先生と結構親しくなれていたかもしれない。

 

  そんな食通の池波さんの時代小説には、食事のシーンがよく登場する。この点、蕎麦と珈琲はファンだが、食べ物にはうるさくなかった司馬遼太郎さんとは対照的だ。

 

  池波さんの人気小説を原作にした最新作「仕掛人・藤枝梅安」にも、食事のシーンがふんだんに出てくる。仕掛け(殺人)の仕事が終わった後に、ざっくりと削った鰹節と醤油をかけた御粥を、梅安(豊川悦司)は実においしそうに食べる。

 

  その他、濃厚な鯨骨(かぶらほね)の吸い物、磨った柚子をまぶした年越し蕎麦…。映画を見終わって、和食を食べたくなること請け合いである。それは東京広尾にある日本料理店「分とく山」の総料理長・野崎洋光氏が付きっきりで制作したからだ。野崎氏には「池波正太郎の江戸料理を食べる」(朝日新聞出版)という共著もある。

 

  料理のシーンだけでなく、殺しを依頼された梅安が武器となる針を砥石で研ぐシーン、同じ仕掛人仲間の彦次郎(片岡愛之助)が吹き矢の先に毒を塗るシーンなどを丁寧に見せる。やはり時代劇にはこうした〝ディテール〟描写が大事なのだ。

 

  今回のストリーのポイントは、元締め(柳葉敏郎)から梅安に依頼されたターゲットが、彼とは因縁の深い料亭の女将だったこと。それを演じる天海祐希の悪女ぶりが見ものだ。映画が成功した理由は、梅安役を豊悦が演じたこと。無表情でクールな孤独さを表出し、緒形拳や田宮二郎など、歴代の梅安役を抜いて、はまり役となった。私はアラン・ドロンが殺し屋を演じた「サムライ」(1967年)を思い出した。

 

  それで記憶によみがえるのは、パリのルネ・クレマン監督の豪邸でインタビューした時のことである。「太陽がいっぱい」(60年)のなかで、ドロンはヨットで第1の殺人を犯した後、りんごにかぶりつき、第2の殺人を犯した後、ローストチキンにむしゃぶりつく。「なぜあんな食べるシーンを入れたのか?」と聞いたら、クレマン監督の答えは簡潔だった。「殺人という大仕事をし終えた後には、お腹が空くんだよ」

                             (この項つづく)