異色作「フーテンの寅」の監督が森崎東だった。

 

渥美清が主演した「男はつらいよ」全48作のなかに、屈指の異色作がある。それが第3作の「フーテンの寅」(1970年)だ。まず寅さんの背広の格子模様が、太めで違う。

 

彼が仲をとりなす芸者(香山美子)の父(花沢徳衛)が、うらびれたヤクザで、四日市のコンビナートのそばに住んでいる。また寅さんの香具師(やし)としての生活臭が色濃く描かれている。いわば〝社会派〟「男はつらいよ」といったところか。それがなぜなのかといえば、監督が山田洋次ではなく、山田の弟子である森崎東だったからだ。

 

私は森崎監督に直接、この3作目のことを聞いたことがある。すると、「僕は我々の眼にはふれない香具師の人たちの生活圏に興味があったんです。彼らに会って、ずいぶん取材しましたね」と答えてくれた。彼の興味は、「男はつらいよ」の品のいい叙情性ではなく、働く労働者層のバイタリティーに向いていたようだ。

 

彼は第1作の「男はつらいよ」(69年)の脚本を、山田と共作している。寅さんの言う「けっこう毛だらけ猫灰だらけ」は渥美のアイディアだが、「おケツのまわりは糞だらけ」と加えたのは、森崎だったという。なにしろ品が悪いのだ。

 

この森崎監督が7月16日、神奈川県茅ケ崎市の病院で、脳梗塞のために亡くなった。92歳だった。彼は島原市の生まれだが、小学1年の時、大牟田市に移ってきた。家はもともと大きな回船問屋だった。

 

3歳年上の兄の湊は、大牟田商業開校以来の秀才と言われ、海軍少尉候補生だった。ところが敗戦の翌日、割腹自殺して果てた。この兄の強烈な思い出を、森崎は、「黒木太郎の愛と冒険」(77年)で描き、鎮魂している。また監督デビュー作である「女は度胸」(69年)では、主人公の河原崎建三は、兄貴の渥美清にコンプレックスを抱いている。こんな所に、兄への限りない思いが見て取れる。

 

終戦後は五高に進み、一時期、熊本大学に籍を置いたが、京都大学法学部に入学。1956年に松竹京都撮影所に入社。野村芳太郎や山田洋次の助監督に付いた後に監督となり、庶民を主人公に据えた喜劇を得意とした。遺作は長崎を舞台にした「ペコロスの母に会いに行く」(2013年)。この作品で「キネマ旬報」ベストワンに輝いた。

 

森崎監督のもう一つの思い出は、黒澤明監督の刑事ものの名作をリメークした「野良犬」(73年)の時だ。新宿の映画館で披露試写会が開催され、その後に会場で質疑応答が行われた。犯人の設定を、沖縄から集団就職した複数の若者たちに変更したことに批判が集まった。「それが何でいかんのですか?」と必死に応戦していた姿が忘れられない。