「セールスマン」というタイトルだけ聞けば、陽気なコメディーか、明るいラブ・ロマンスかなと思う。しかしジャンルで言ったら、完全なサスペンス映画である。しかも珍しいイラン映画だ。

 

 トランプ政権の入国制限命令に抗議して、アスガ―・ファルハディ監督と主演女優のタラネ・アリドゥスティが、今年のアカデミー授賞式へのボイコットを表明して、大きな話題となった。その渦中にあって、見事に外国語映画賞を受賞。同時に、カンヌ映画祭で、脚本賞(監督自身)と男優賞(シャハブ・ホセイニ)をも獲得した秀作である。

 

物語の基盤にあるのは、アーサー・ミラーの名戯曲「セールスマンの死」だ。主役のホセイニとアリドゥスティが扮する夫婦は、テヘランの小さな劇団に所属し、俳優として、この「セールスマンの死」を演じているという設定。だから、タイトルが「セールスマン」なのだ。

 

ある日、引っ越して間もない自宅の浴室で、妻が侵入者に襲われてしまう。教師である夫は、自分のメンツのためにも犯人を追及したい。しかし妻は表沙汰にしたくない。その感情的なすれ違いが始まる。前半部分では、イランに未だ根強く残る男尊女卑的な社会構造が窺い知れる。

 

やがて夫は、犯人を突き止める。犯人は貧しい労働者。夫は中産階級のインテリ。日本人から見たら考えられない対立感が、これまたイラン的なのだろう。

 

クライマックスは、夫と犯人が対峙する後半部分。どんでん返しに次ぐどんでん返し。ストーリーは思わぬ方向に展開する。怒りや不安や悔恨の情が錯綜し、見せ場が噴出する。特に、犯人役の演技は、どこからどこまでが演技なのか分からないほど、圧倒的なリアリティーに溢れている。

 

ファルハディ監督は、イラン映画界のホープだけでなく、今や世界的な注目を集めるフィルム・メーカーとなった。「彼女が消えた浜辺」(09年)、「別離」(11年)、「ある過去の行方」(13年)と続く作品群は、ベルリン、カンヌの映画祭や、アカデミー賞などで主要な賞を受賞している。

 

この作品では、前述のように、「セールスマンの死」の舞台シーンが何度も挿入される。平凡なセールスマンの夫が、家族から裏切られ自殺するという暗い話。第二次世界大戦直後は、ハッピーなアメリカン・ドリームが充満していた。そんな浮かれた時代に、一石を投じた問題作だった。「セールスマン」も、時代の変化に取り残される夫婦の話。そんなイランの閉塞状態は、アメリカのそれと通じる所があるのだろう。

 

「セールスマンの死」が映画の通奏低音となって、重層的に響いてくる。その意味において、「セールスマン」というタイトルより、あえて「セールスマンの死」と謳った方が、サスペンス度や皮肉度が加味されたかもしれない。