自宅でくつろぐ伊福部昭。この部屋から「ゴジラ」の音楽は誕生した!

 

 「静かなる決闘」(1949年)は不思議な映画である。三船敏郎が清廉潔白な町医者を演じている。戦時中、南方で行った手術中の事故で、梅毒に感染してしまった若き医師の苦悩…。

 

 この映画を初めて見た時、アッと声を上げた。なぜなら、それまでの黒澤関係の資料には音楽担当者は「早坂文雄」と記載されていた。ところが冒頭のクレジットを見たら、「音楽・伊福部昭」と明記されているではないか。そんなはずはないと思ったが、映画のなかで高鳴る音楽は、どういても「ゴジラ」(54年)でおなじみの、あの重厚な伊福部節〟だ

 

  なぜ、そんな間違いが生じたのか?  それを調べてみたら、大映から出された当時のプレスシートに、「音楽・早坂文雄」 と記入されていた。この基礎となる資料のミスから、このような間違いが流布されていたの

 

  それで思い出すのは、「張込み」(58年)の夫名事件である。作家の井上ひさしが「高峰秀子の夫役の清水将夫も素晴らしい」と書 いた。それに対して某作家が「夫役は松本克平である。何かの間違いであろう」と断じた。ところが実際には清水が正解だった。間違った作家は「夫・松本克平」と書かれたキネマ旬報の「日本映画紹介」のキャスト表を見て発言していたのだ

 

 結局はお詫びの記事が掲載されたが、なぜそんなズレが生じたのかを、私は野村芳太郎監督に確認してみた。すると「最初は確かに松本克平で進んでいたが、撮影が長引き、スケジュールの都合で清水将夫に変更された」というのである。

 

 我々はスタッフ名、キャスト名、ストーリーが記され、過去の映画について手軽に調べられるという理由で、よくキネマ旬報の「日本映 画紹介」を参考にする。ところがこれは、会社から出されるプレスシートをそのまま引き写したものなのだ。ところが、それ以後に変更さ れた部分に関しては、完成作品とは異なる場合がある。特に音楽は最後に行なわれる作業だけに、変更になる可能性が高い。今ならDVDで確認すれば済む話である。 

 

  しかしこの事実からわかることは、最後の最後まで作曲家は早坂に予定されていたということだ。なぜ伊福部がピンチヒッターを務めることになったのだろう? それを伊福部に尋ねたら、「大映から来た仕事を引き受けただけで、なぜ僕になったかは知りません」と答えた。早坂の弟子・佐藤勝に聞いたら、「先生の体調が悪くて、そうなったんでしょうね。親友の伊福部さんを、先生が推薦したんでしょう」と語った。

 

 後に早坂の遺族から「作曲ノート」を見せてもらって、当時の状況を追跡した。すると、「九月喀血、十一月から静養に入る」とあった。その変更の理由が、早坂の健康問題だったことの裏付けが取れた。私はその誤謬をキネマ旬報の編集者に告げた。以後すべての書物で、記載は修正されたのである。