自意識→自我→防衛機構(人格)。
自意識を傷つけるもの→恥、屈辱、面子が汚される。
肉体→生命の危機→恐怖。
自意識→美意識の危機→恥、屈辱。
自意識には理想状態、希望、美への希求がある。
個人的美意識、または公的美意識から外れると恥じる→改善されなければ絶望し、死にたくなる。
逆に言えば人は望みを持って生まれ、希望があるから生きていける。
地球から提供される意識の容器=自我がそれに隣接する表層意識=自意識に目的を与え、理想を望ませ、それが叶わないと葛藤を感じさせ、苦しめる。
その苦痛もまた(理想への渇望同様)精神エネルギー=地球の収穫物になる。
自我の理想実現欲、美への方向付けがなければ意識は大悟者のように恥も外聞もなく平静でいられる。
肉体の生存欲のように自我には理想欲がある。
自意識が肥大した人間ほど理想が高く、大志が叶わねば墜落の危険を伴う。
一方、低い理想でぬくぬくしていると意識高い系から下らないと軽蔑される。
それでも「蛙の面に小便」状態でいられる人間は強い。
しかし卑しい。
この理想欲が正常に機能した上で低い場合、たとえ傍目からは卑しく映っても人間性は維持される。
しかし虐待など負の外的刺激により人格が歪曲した場合は、平気でゴミ屋敷に住んだり簡単に犯罪に手を染めたりして人間性が壊滅状態となる。
人が人であるためには最低限の理想は抱かざるを得ない。
その反動として下らないものを下らないと軽蔑する残酷な分別の萌芽は避けようもない。
ちなみにこちらの小説は男の理想が果たされず、希望が潰えたときの心境が描かれており面白い。
理想と現実のギャップを埋められず、羞恥心や屈辱感にさいなまれ、精神を病み社会不適応になった挙げ句の暴発で犯罪者(虎)となった者は多い。
羞恥心が無さすぎて自業自得の不祥事を嘘でごまかす卑しき者もいるが、理想欲というものは強すぎても弱すぎても身を滅ぼす。
そのような厄介な欲求を人の自我に搭載させた地球のオーナーは無慈悲だ。