人には肉体のみならず精神体という第二の身体があると仮定する。
精神体は愛憎を活動のエネルギー源とし、正負は別としてその価値は等価である。
ゆえに愛だけでなく憎しみを上手くエネルギー源として取り込んだ者が人間社会の競争において優位に立つ。
憎しみを制御するには武術武道が有効であり、精進を積めばやがて武芸として芸術の高みに到達する。
愛情もそのままでは好意の押し付けとなり、気のない相手には甚だ迷惑なので、礼法という包みにくるみ、相手が受け取りやすくする必要がある。
これも研鑽を積めば芸術の域に達する。
武道に励めばいざ敵が現れた時にも動じず対処でき、平時でも敵を牽制する抑止力になる。
礼法を身に付ければいざ愛を伝えたい相手が現れても慌てずしかるべきアプローチを選べるし、平時でも八方美人的に周囲に好感を与える。
武道は敵を作らず、敵が現れても対処できる。
礼法は味方を作り、愛すべき存在が現れても対処できる。
この両者は対となり、日常生活を快適に過ごす鍵となる。
ただ、日常において武道を発揮する機会はそう多くなく、また無闇に行使すれば逆にこちらが罪に問われ得る。
日常において行われる攻防とは嫌がらせ、ハラスメント合戦であり、相手が法を犯せば裁判沙汰となり、合法の範囲内なら神経を削り合う社会的闘争となる。
現代においてより必要とされるのは武道より社会的嫌がらせへの対処法であり、味方を作る礼法と対になるのは本来はこちらだろう。
テレ朝のキョコロヒーという番組内で「いじわる選手権」というコーナーがあり、日常の小さな意地悪にどう対処するのが正解かを題材にしている。
これは相手に不快感を与えない目的で構築された礼法とは真逆で、自分に不快感を与える意地悪な人間にどうカウンターの一撃を食らわせるかの技術を問うている。
この技術が体系化され、屈辱を感じた瞬間に撃退できれば憎悪の感情を正しく消化したと言えるだろう。
礼法の世界では意地悪な無礼者の相手はせず、心清らかな人間だけで生活することが前提となっているが、それでは軍隊を持たなければ侵略を受けないような空想を抱く反戦平和主義者と変わらない。
現実に不届き者が跋扈しかつ不用意に武道を使えない状況下で、合法的に相手を懲らしめる社会的テクニックが体系化され世の中に普及すれば、どれだけ理不尽なハラスメントに晒され恥辱屈辱を忘れられず、日々苦悩している被害者たちを救えるかと思うとその実現を切に願う。
ちなみに「いじわる選手権」の講師役は太陽の小町のおつるさんという女性芸人が務めており、ユーチューブでチャンネルを持っているようだ。
今後彼女がいじわる道の開祖になるのかは分からないが、性悪説に立った社会的スキルの構築はラップバトルのようなエンタメに昇華させることも可能であり、世の中の生き難さを軽減するヒントになるように思う。
無論、愛の思念術にあるようなアンミカさん的な敵を作らない生き方も生きやすさの点では有効であることは間違いない。
ただ、それでは愛憎の愛ばかりからエネルギーを得るだけに終わり、愛憎をバランス良くエネルギー源にしている猛者と比べればエネルギーの総量で劣るため、憎悪の有効活用という観点が生まれた。
高い美意識や理想ゆえの屈辱や反骨は苦悩をもたらす一方、膨大な精神エネルギーをほぼ無尽蔵に産み出すのだから、これを使わない手はないだろう。
いじわる道とは人の悪意への熟知と対処法の熟達を目指す社会的武道であり、現代の兵法となり得る金脈であると思う。
一つ難点があるとすれば、いじわる道の熟達者は意地悪な不届き者と同等の嫌な人物だと周囲から映るリスクがあることか。
それは普段から味方を作り増やす礼法の実践でケアするより他ないと考えられる。
今現在でいじわる道の熟達者を挙げるならば、周囲への説教を「世直し」と位置付ける女性芸人の友近さんだろうか。
彼女の親友である女優の天海祐希さんもかなりの達人だと見受けられる。
男性の場合、社会的な対処より暴力でケリを付ける人が多いようで、エレガントないじわる道の達人はあまり思い浮かばない。
この分野は元から暴力の選択肢がない女性の方が長けており、男性もその道の先駆者に師事すべきなのだろう。
男性芸能人から挙げるとすればマツコ・デラックスさんや有吉弘行さんがその域に達してるかもしれない。
彼らは明らかに愛の波動とは別のエネルギー源を保持しており、それは私が言うところの憎悪の源泉から精神体へパワーを供給しているように思う。
マツコ・デラックスさんと天海祐希さんは親友関係にあり、いじわる道の達人同士惹かれ合うものがあるのかもしれない。
天海祐希さんに対しいじわる道の名でくくるのは申し訳ないので、世直し道とでも呼び直した方が相応しいとも言えるが、太陽の小町のおつるさんに敬意を表するならばいじわる道のままでいこうと思う。
いじわる道とはあくまで嫌がらせへのカウンターパンチであり、自ら社会問題に首を突っ込む世直しとは意味合いが違う。
その受け身の姿勢はやはり武道に通じる。
いじわる道の意地悪返しは言わば言葉の居合斬りだ。
その奥義はトップ女優の度胸と一流芸人の機知にあるように思う。