運命体 | 運命ハック

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オリジナル占術を幾つか編み出しましたので、それを用いて不定期に占っていきます。

どう説明したものか、取っ掛かりが難しいのですが、

以下、コトバンクより引用。

【運命】
[1] 〘名〙 人間の意志を超えて、幸福や不幸、喜びや悲しみをもたらす超越的な力。また、その善悪吉凶の現象。巡り合わせ。運。命運。転じて、幸運、寿命、今後の成り行き。

【運命論】
〘名〙 世界のすべての事柄は運命によってあらかじめ定められており、人間の意志や努力では全く変更できないとする人生観。ギリシア悲劇、中国の天命説、仏教の因果応報思想、イスラム教やキリスト教の予定説などに見られる。宿命論。運命観。

https://kotobank.jp/word/%E8%BA%AB%E4%BD%93-161861
身体
通常は人間の生理的・物理的部分をいう。しかし身体は、人間のもつ心的側面を担う部分としての「心」と相関的に、生理的・物理的側面を担うものと考えられた。したがって歴史的にも身体の性格づけは、心をどうとらえるか、またそれが心とどのような関係をもつかで定まる。
たとえば心を個人的霊魂と考え、身体をその「容(い)れ物」とする場合でも、心の自由さを奪う檻(おり)であることが強調されるときと、心の意図したことを行為によって実現する道具としての役割が強調されるときとがある。
また心を「わたし」あるいは主観ととらえる近世哲学においても、主観を行為するものと考えるほど、身体はその活動を保証する積極的意味合いが強くなるが、反面、主観の観照性(行為せずにただ見聞きする「わたし」としての性格)が重視されるほど、身体は主観の制約性(主として特定視点からしか見聞きできぬ点)としての消極的意味合いが強まる。
なお、それらの一般的傾向の極端には、身体は心の産物であるとする唯心論や、逆に、身体(脳など)の働きとして心が存在すると主張する唯物論がある。
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取り敢えず関連する言葉の辞書的意味合いを並べてみましたが、今回私が述べたいことは運命+身体=運命体です。
簡単に言えば、

「運命体とは人間の人格や人生航路を予め組み込んだ設計図であり、それは身体のごとく固定的な形を伴った、今生限りの魂の見えざる檻であり、触れがたし道具である」、

と言った所でしょうか。

もっと簡単にすると、ハードウェアとしての身体に対してソフトウェアとしての運命体なる物が、具体的な形で人間が誕生する際に星の配置に基づき付与される、と言う感じです。


何が重要かと言えば、運命と言う言葉が持つ壮大さや曖昧さを排し、身体と等価の対になるような存在感で、手の平サイズの小型運命が各個人に与えられると言う認識の新しさです。

そしてそれは身体のように一代限りの使い捨てであり、現在自己同一視する人格や人生航路は身体と同じく本質的には自分自身ではない、と言う認識の刷新です。

別の言い方をすれば、運命体は霊的身体としてのエーテル体やアストラル体のような物で、死後、来世に転生する時には継承されない消耗品です。


よく肉体は天からの借り物であり、死後は大地にお返しする、と言う考え方がありますが、人格や人生航路も同様の物だと言うことです。

体は自由にはならないが、自分の人格やそれにより紡がれた人生は自分の物であり、自分自身だから誇れるし、失えば惜しまれもする、との認識は間違っている可能性がある、と言うことです。


このことは自分が死んだ時、死後の世界、転生の中間領域において果たして自分の人格はどうなるのかを考えると理解が深まります。


その時、自分は今の(前世の)人格なのか、それとも前回の転生前と同じ、中間領域において一貫した人格なのか?

もし後者なら、その人格を付与した運命生成システムとは何なのか?

地球での人格、人生が太陽系の星の配置に基づくのだから、より高次の中間領域での人格は銀河系を用いたシステムが使われるのか?

ならばもし下位次元である太陽系の地球に転生するのを拒否し、また他の天体への降下も拒絶したならば、中間領域での人格を持った自分の生命、思念体はやがて死を迎えるのかどうか?

地球での死が肉体の脱ぎ捨てを伴うのだから、中間領域での死もより高次の霊的身体の脱ぎ捨てを伴うのか?

もしそうなら地球での死が中間領域への上昇をもたらしたように、中間領域での死もまたより高次の次元への上昇を促すのかどうか?

もしそうであるならば、ではより高次の中間領域での人格はどうなっているのか?

一段下の中間領域で地球とは異なる一貫した人格を保持していたように、より高次の中間領域でも銀河系より更に大きな枠組みでの運命生成システムにより付与された高次の人格=運命体が再インストール、または再起動されるのか?

もしそうなら、死後、転生を拒否する度に一枚ずつ霊的身体と共に運命体(人格と人生航路)をも脱ぎ捨て、より身軽に、より高次に魂の転生主体は上昇するのかどうか?

もしそうであるならば、これこそ真の意味でのアセンションではなかろうか?


仮定に仮定を重ねると、運命体について飛躍した結論になります。

今回の説明で上手く概念を伝えられたか不明ですが、取り敢えず最初の一歩と言うことでよしとします。


最後に改めて言うと、身体と言うハードウェアに運命体と言うソフトウェアが組み込まれた電子機器、精密機械のような有機物がありまして、それに魂の転生主体が取り憑いた付喪神みたいな存在が我々人間ではないか、と言う与太話です。

一般的な認識では肉体に魂の転生主体が入り、運命はそれとは別個の外部環境に配置された物、人格は魂に付随する固有の物のように言われていると思いますが、そうじゃなくて人格も含めて運命体と言う第二の身体として自己存在に内蔵されている、と言うことです。


現状、この考えは何の裏付けもなくただの仮説ですが、それにしてはかなり理に適っていると自負します。
恐らくオカルトや占い界隈で誰もこの認識を持っていないと思われますので、これもまたオリジナル占術と言うか、オリジナル理論ですね。