笑いとは何か | 運命ハック

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オリジナル占術を幾つか編み出しましたので、それを用いて不定期に占っていきます。

陰陽六行、4大欲求の見地から「笑いとは何か」を一言で言いますと、他者の喪失を見て相対的に自分が何かを獲得したと錯覚した結果の喜びです。
他人の不幸は蜜の味。
悲劇は喜劇。
自虐だろうと他虐だろうと、本質的にそこには何かを失った哀しい人間がいます。

暴力的な突っ込みはその典型で、ただ叩かれるだけで面白いのは、痛みと言う損害を受けたボケ役がいるからです。
相手は痛がって悲しんでるけど自分は痛くも痒くもない安全圏にいる喜び、安堵。
これははっきり言えばいじめ笑いであり、いじめが世界中で年齢を問わず好まれるのは、それで錯覚上の獲得の喜びを安易に得ているためです。

正当な喜びをもたらす獲得・創造行為には資質や資源が必要ですが、相手に喪失・損害をもたらす破壊はただの力任せであり、誰でも出来ます。
多少創造性のある者はいじめ方に創意工夫を挟みますが、所詮は破壊であり、生産性はありません。
ただいじめ笑いは原価がただであり、その気安さから世の中から失われることはありません。
喪失が笑いなら、誠に笑えない状況なのです。
いじめ笑いがこの世からなくなった時、人類は心から微笑するのでしょう。


また、怒りや恐れからの解放がもたらす安堵・安楽を獲得した場合も、喜びとして笑いがこぼれます。
俗に言う「緊張と緩和」「振りと落ち」であり、謎掛け、アハ体験もここに含まれます。
いかつい任侠さんがにかっと笑うだけで緊張が解け、安堵の笑みがこぼれるあれです。


お笑いモンスターのマツコ・デラックスさんは、この自虐・他虐・謎掛けの3種類の笑いを全て高レベルで行っています。
自虐はデブでおかまで独身(孤独)と言う三重苦。
他虐はこれでもかと言う悪口、批判、風刺の鋭い舌鋒。
謎掛けは高い知性が構築するコント仕立て、お約束の笑い。


https://blog.goo.ne.jp/hk1006/e/60b8348067e7c75a6a2dcea2824bc1a3
こちらのブログから笑いの8要素を引用しますと、
無知、勘違い、誇張法、スカシ、時事ネタ、差別はボケ役が道化を演じ恥をかく、またはツッコミ役や第三者に恥をかかすことで喪失・損害を出し、観客に相対的な錯覚上の獲得をもたらしています。
天丼は二度目のボケで安堵・安楽を生み、獲得の喜びとなります。
ダジャレは元の言葉を想起するまでの短い時間、わずかに頭を使い、負荷が掛かり、理解した時に安堵をもたらし、獲得の喜びとなっています。
無知、勘違い、誇張法、スカシ、時事ネタ、差別は自虐か他虐。
天丼、ダジャレは謎が解けるまでの時間に差はあるが、謎掛けです。
勿論、自虐・他虐と謎掛けの併せ技もあります。


最高に高度な笑いとは、知的な謎や社会的負荷を重ねに重ねてラストに一気に解放させ安楽させ、かつ誰かが喪失・損害を受け持つ長丁場のコントであり、例えば三谷幸喜の「笑の大学」が該当します。

この笑いの構造を倫理的に笑えない状況に転換することで、コメディは容易にホラーに変わります。
ゆえに喜劇は悲劇なのです。
イギリスのテレビ放送局BBCが広島、長崎での原爆により二重被爆者となってしまった男性を『世界一運の悪い男』として笑ったのはその典型です。
イギリス人の倫理がそれを笑うことを許しても、我々日本人がそれを理解できる訳がありません。

自分達の文化に基づく倫理観に適合すれば好感を抱き、歓迎し、不適合なら恐怖し、嫌悪し、排斥します。
4大欲求における食欲の獲得・喪失と睡眠欲の安堵・妨害は、結局性欲と排泄欲の愛憎に帰結します。


すべり芸は芸自体、自他の損失も負荷からの解放も弱く、笑えませんが、それが倫理において許容される限り、芸人のいたたまれない無様さの喪失感自体が笑いに転化されます。

ただのスベリがなぜ笑えないかというと、それは緊張の負荷が解放されないからです。
解放されなければ笑いでなく、凍りついた空気は軽微なホラーとして認識されます。

そもそもなぜスベるかと言えば、倫理に反してホラー化していないと言う大前提をクリアしている場合、それはネタにオリジナリティがなく、既視感があり、退屈だからです。
退屈もまた緊張の負荷ですが、刺激しておいて刺激不足なのだから、解放されるわけもありません。
単なる非力です。

オリジナリティがないと言うのは凡人と言うことであり、芸術家に列席する芸人ではありません。
かと言って異常性が芸かといえば甚だしい誤解で、そう言った美を理解しない愚者がやけくそになって犯罪に走るのでしょう。

いじめ笑いを自分の才能と誤解する輩も同様です。
いじめ自体が暴行罪や侮辱罪であり、それを見て笑う方もまた犯罪者のメンタリティを持っていると言えます。
それが常識として社会全体を覆った場合、その共同体自体が犯罪性の文化を持っていると断じざるを得ません。
かつては身体障害者のサーカスが笑える見世物として興行されていましたが、今となってはホラーです。


嫌われ芸人は江頭2時50分さんなど、特に女性において倫理の許容範囲を超えるからホラーとして認識され、嫌われます。
出川哲郎さんは次第にその人柄が知られるようになり、ホラーからゆるキャラに移行し、好感度の高い芸人に昇華しました。
これはかつては怪奇芸人だったケンコバやくっきーにも言えることでしょう。


笑いは錯覚上の獲得とは言え、相手に喜びをもたらすプレゼントであることに変わりはありません。
これを平和裏に遂行するには自虐笑いか、謎解き笑いが良いでしょう。
さかな君やみやぞんが愛されるのは、まず彼らの訳の分からぬ変人っぷりがそのまま謎掛けになっており、何でそんなことをするのかと言う疑問が負荷となり、かつ結局彼らは人を傷つけず自分の失敗談を落ちにし、謎掛けの負荷を解放(アハ体験)するからでしょう。
これが他虐なら愛されないし、謎掛けが弱ければ笑いが爆発しにくく、彼らを特別な地位に押し上げませんでした。
笑いの性質が倫理に反するものなら、危ない奴としてドン引きされます。
これらの条件を作為でなく天然でやってのけているから万人受けします。

これと似て非なるものがクロちゃんであり、彼は徹底してプライベートを晒される他虐のターゲットでありながら、変人として視聴者に「何だこいつ?」と不可解な謎掛けを提示し、かつその答えが倫理に反する異常心理の露見であるからこそ、番組がホラー・ショウと化しているのです。


とりあえずここまで。