六行のダークサイド | 運命ハック

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オリジナル占術を幾つか編み出しましたので、それを用いて不定期に占っていきます。

陰陽六行と言ってましたが、別に陰陽で二倍の12にして占ってるわけでもないので、ただの六行とします。

さて、六行というのは、

  木
火   水
土   金
  冥

木:性欲、愛、一体化、自己犠牲、死。
火:睡眠欲の不足、怒り、妨害。
土:睡眠欲の充足、安楽、順調。
冥:排泄欲、恐怖・憎悪、分断、毒出し、保身、生存。
金:食欲の充足、喜び、獲得。
水:食欲の不足、哀しみ、喪失。

ですが、この内ポジティブと見られる木・土・金の正の三角にも悪い意味、ダークサイドがあります。
それは以下の内容です。

木:性欲、レイプ、自殺。
土:睡眠欲の充足、怠惰、ニート、搾取。
金:食欲の充足、強奪、暴力、侵略。


具体例で言うなら、木の場合、第二次世界大戦が終結した時、日ソ不可侵条約を破ったソ連軍が行った日本女性に対する暴挙です。
北海道のラジオの女性アナウンサーは、道民に危険を知らせた後、ソ連兵にレイプされることを恐れ、プライドを守るために青酸カリで服毒自殺しました。
満州では逃げ損なった日本人を殺されないよう、若い女性達がソ連兵に対し性接待を強要されました。
これらは共に性欲にまつわる事象であり、負の側面です。

戦争でなくとも、人に恋し、愛を形にしようとした時、それをストーカーやレイプという形で実行に移す悪漢も存在します。
それに対する拒絶、毒出し、デトックスが生存本能であり、レイプへの必死の抵抗です。
しかし、場合によってはそれはレイプ犯を激怒させ、傷つけられたり殺されるという悲劇を招きます。
だから排泄欲の排除の論理は戦争であり、命を掛けた殺し合いを意味するのです。

また、これは女性に対する性犯罪だけではありません。
支配階層である男性に対する思想的レイプ、洗脳も含みます。
戦後、戦前の教科書に書かれた国家主義を増長する内容に黒墨を入れさせられましたが、あれです。
黒塗り自体は異物の排除で排泄欲の現れですが、その結果は日米の思想的一体化であり、性欲の現れです。

これはカルト宗教による洗脳も同様です。
前回の平和的な攻撃である啓蒙活動は相手の思想的な異物を論理によって排除する排泄欲にまつわる行為であり、洗脳までの工程ですが、思想的な断絶を解消したら啓蒙完了であり、それはイコール洗脳完了です。
何か自分とは違うものと一体化するというのは、必ず以前の自分の(部分的な)死を伴いますので、望んで行うのでなければ非常に恐ろしい出来事です。
そう考えると啓蒙や説得というのも言葉による侵略であり、他人の思想信条に立ち入るというのはコミュニケーションにおいて失礼な行為ですね。
欧米において政治と宗教、スポーツの話題はタブーだそうですが、それは必然的に相手を批判し、否定する言葉による戦争を引き起こすからですね。

洗脳も恋人の趣味に合わせてファッションを変えるなんて程度なら可愛げがあるのですが、あれもまた異物との一体化であり、自己犠牲であり、愛です。
夫婦生活も同様で、形だけの中途半端な自己犠牲では異物感が残存し、定年後に毎日顔を突き合せるようになった時、残存したしこりが汚物や毒物と認定されるとデトックスの排除の論理が起動し、熟年離婚となります。


続いて土の怠惰ですが、これは楽して惰眠をむさぼることであり、それを可能にするには食料の蓄えが必要です。
それを自前で用意するならいくら眠りこけても良いですが、他者に任せた場合、すねかじりとなります。
それが親なのか、伴侶なのか、子供なのか、奴隷なのか、企業の配当金なのか、国家の福祉なのかは関係ありません。
自ら額に汗して稼いでなければ金額の大小に関わらず搾取であり、だからこそ対極に喪失を受ける奴隷の哀しみがあります。

また、依存相手、搾取対象も睡眠の休息を必要としており、それを十分に取らせない形で労働を強いた場合、ブラック労働のように相手に強いストレスを与え、怒らせ、心の平安を妨害しています。


金の食欲の充足、獲得は、前回言ったように侵略や犯罪による強奪が含まれます。
獲物を狩るにはライバルと競争する場合、妨害工作を必要としますし、獲物が人である場合は直接的に財産を奪うため、喪失をもたらし、悲しませます。


これらの行為は全て生物の欲求に起因しており、それゆえ動物レベルの倫理では間違いではありません。
人はいくら文明が進歩しても神になれたわけでもなく、依然として動物の分類に残留しています。
動物から神へのなだらかなグラデーションの中で動物界よりの底辺の人間は、平気で人を犠牲にして生き残りを図る、つまり冥の他人を殺してでも自らの生存を確保しようとする醜い保身の塊です。

正の三角を正しく使う善人には誠に生き難い世界となっていますが、それでも人を愛し、場合によっては自分が犠牲となることを喜んで選択し、獲得物を人と分かち合い、他者の安眠を優しく見守る、という聖人の様な生き方を目指すのも、未だに人の世界で価値を失ってはいないでしょう。

むろん、言うは易く行うは難しですが、面倒だからやらないというのは睡眠欲の負の表れである怠惰です。
真・善・美を行動指針にしなければ際限なく人は堕落しますので、肝に銘じたい事柄です。