(追記アリ)帝国の興亡と冥王星と開始・終了点の関係 | 運命ハック

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オリジナル占術を幾つか編み出しましたので、それを用いて不定期に占っていきます。

例の如く、まずはデータをご覧下さい。


★797年、冥王星水瓶座入室
800年、カール大帝の戴冠により、フランク人の王権がカトリック教会と結びついた皇帝が出現した(フランク・ローマ皇帝)

★957年、冥王星獅子座入室
962年、東フランク(現在のドイツ)の王オットー1世がイタリア王を兼ねた上でローマ皇帝に戴冠し、東フランク・イタリアに支配権を及ぼす皇帝権が復活した

1024~1125年、神聖ローマ帝国・ザーリアー朝。絶頂を迎えたこの時代は「三王朝時代」と呼ばれ特筆されている(終了点インでも滅びず!)
★1042年、冥王星水瓶座入室
11世紀、モンゴルはモンゴル高原に「九姓タタル国」を建国
(追記)
1056年、「帝国」の最盛期を築いたハインリヒ3世黒帝が38歳で死去。子のハインリヒ4世が後を継ぐが、わずか5歳であったため王権は弱体化した(時間差はあるものの終了点インで退潮)
1077年、聖職叙任権をめぐってローマ教皇グレゴリウス7世と対立していたローマ王ハインリヒ4世が3日間に及んで雪が降る中、カノッサ城門にて裸足のまま断食と祈りを続け、教皇による破門の解除を願い、教皇から赦しを願った「カノッサの屈辱」

★1203年、冥王星獅子座入室
1206年、チンギス・カンによって建国されたモンゴル帝国は、第一次対金戦争で成功を収めて東アジア最強の帝国に成長した
1137~1254年、神聖ローマ帝国・ホーエンシュタウフェン朝「三王朝時代」

13世紀、インカ帝国の前身となるクスコ王国成立
1273~1438年、神聖ローマ帝国・選挙王制(終了点インで滅びずも退潮)
★1286年、冥王星水瓶座入室
1282年~1301年、モンゴル帝国は40年以上にわたった内部抗争を終結し、4大政権からなり、元を統べる大ハーンを盟主とする緩やかな連合国家に再編された
1299年、オスマン帝国は始祖オスマン1世がアナトリア(小アジア)西北部に勢力を確立し新政権の王位に就き建国

1438~1806年、神聖ローマ帝国・ハプスブルク朝
1445年、インカ皇帝・第9代パチャクテクは、チチカカ湖地方の征服を始めた。
★1447年、冥王星獅子座入室
1453年、オスマン帝国は東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを攻略し、ついに東ローマ帝国を滅ぼした

1520~1566年、スレイマン1世の時代、オスマン帝国の国力はもっとも充実して軍事力で他国を圧倒するに至り、その領域は中央ヨーロッパ、北アフリカにまで広がった(終了点インでも滅びず!)
1521年、カトリックの擁護者としてプロテスタントと戦った神聖ローマ皇帝・カール5世は、所領を弟フェルディナントと分割
★1532年、冥王星水瓶座入室
スペインの「征服者」ピサロ、ペルー征服。インカ帝国の滅亡
1534年、イエズス会設立なる
1556年、神聖ローマ皇帝・カール5世は、所領を息子フェリペ2世に継がせ、ハプスブルク家はスペイン系ハプスブルク家とオーストリア系ハプスブルク家に分かれた(終了点インで滅びずも退潮)
(追記)
1566年、オスマン皇帝・スレイマン1世、戦死
1578年、オスマン・サファヴィー戦争勃発
1579年、スレイマン時代からオスマン帝国を支えた大宰相ソコルル・メフメト・パシャ暗殺
16世紀末頃、オスマン帝国、新大陸産の銀の流入による物価の高騰(価格革命)
1593年、オスマン帝国、トランシルバニアをめぐるハプスブルク家との紛争が13年間続く
17世紀前半、オスマン帝国、君主の母后たちが権勢をふるって政争を繰り返したため、政治が混乱した(時間差はあるものの終了点インで退潮)

1683年、オスマン帝国は第二次ウィーン包囲を強行するも、欧州諸国の援軍に敗れ、16年間の戦争状態に入る(大トルコ戦争)
★1694年、冥王星獅子座入室
1697年、大同盟戦争
1699年、カルロヴィッツ条約において、史上初めてオスマン帝国の領土は削減され、東欧の覇権はハプスブルク家のオーストリアに奪われた
1438~1806年、神聖ローマ帝国・ハプスブルク朝

1768年、オスマン帝国は露土戦争で敗北し、1774年のキュチュク・カイナルジャ条約によって帝国は黒海の北岸を喪失
1773年7月、クレメンス14世は回勅『ドミヌス・アク・レデンプトール 』を発してイエズス会を禁止した(終了点インで滅びずも退潮)
1776年、スペインは勃発したアメリカ独立戦争ではアメリカ独立派に軍事援助を行い、国際的地位を向上させる
★1779年、冥王星水瓶座入室
1787年、オスマン帝国は露土戦争にて再び敗れて、1792年のヤシ条約でロシアのクリミア半島の領有を認めざるを得なかった
1789年、フランス革命が勃発
1793年、スペインは革命によって成立したフランス共和国との戦争(フランス革命戦争)に参戦したが、戦場で敗れて1796年にサン・イルデフォンソ条約を結び、講和した
1806年、神聖ローマ帝国はフランス皇帝ナポレオン1世の攻勢に屈して完全に解体し、ハプスブルク家のフランツ2世は退位した
1814年、教皇ピウス7世の小書簡『カトリケ・フィデイ』によってようやくイエズス会の復興が許可された


はい、どうでしょう。
若干読みにくいかと思いますが、多少時間差があるものの概ね世界各国の帝国の興亡と開始・終了点への冥王星イン・アウトが符合していると思います。
ただ神聖ローマ帝国とオスマン帝国が一度ずつ、本来没落する筈の終了点に冥王星が入っても権勢を維持しております。
これはケネディ米大統領がキューバ危機を回避したのと同様、星の支配も絶対ではない事を意味します。
つまり、2023年の冥王星・終了点インにおいても18世紀後半勃興組が衰亡するとは限らないと言う事で、以前の予想を覆す事態になろうとも不思議ではない事になります。
ただし、神聖ローマ帝国もオスマン帝国も民主主義国家ではないので、その点を考えると18世紀後半勃興組はやはり駄目かなぁとも思います。
(追記)また、冥王星終了点インでの権勢の維持は持って数十年であり、冥王星の支配を跳ね返した大英雄の退場により、その後一気に衰弱しております。
つまり、結局大英雄を持ってしても単なる時間稼ぎ、先延ばししかできないと言うことです。
18世紀後半勃興組が冥王星の支配通りに終了点インで勃興し、開始点インで最盛期を向かえ、終了点アウトで衰亡したモンゴル帝国、インカ帝国、スペイン帝国の葬列に新たに加わるのかどうか、「刮目して待て!」です。