https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/067c5c8f972ec52861a3f3fdef31af904e9c9728
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参政党が一貫して主張しているのは不純物のない、「混じりけのない純粋なる何か」であり、それが有機農法、食品添加物禁忌へとダイレクトにつながっている。彼らの中では反ワクチンと無農薬・有機農業・食品添加禁忌は一本筋が通っている。まず彼らの頭の中には「かつて存在した純潔な生活・農業・健康」が至高のものとして存在し、それが現在の医療や大資本(グローバル企業、グローバリスト)によって「汚染」されているという考え方である。
(中略)
「混じりけのない純粋なる何か」をそのまま延長していくと、「日本は純血の日本民族だけが独占する、混じりけのない国民国家であるべきだ」という結論に行きつくのは当然の帰結だからだ。
(中略)
参政党は単なる「ネット保守」政党ではない。全体としてみればオーガニック信仰を基調として、そこに保守的要素が「後付け」された異形の「オーガニック右翼(保守・右派)」と呼ぶべき右派政党である。
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結論から言えば、人工的な化学薬品、農薬を使った近代農業による食品や、食品工場で人工的な加工を施した加工肉など加工食品を毒と見なし、完全排除を目指す指向性をオーガニック信仰と呼んだとき、それは人工的食品を悪と見なし責任を課す他責になっていると私は思う。
人工的食品は確かに一部の人間にとって顕著な毒性を示し、それを断ったことで体調が改善することもある。
一方で大多数は健康無事でいられるわけで、そこに多数派と少数派で乖離がある。
それは何かというと、毒である人工的食品の臓器による解毒能力の高低だと思われる。
つまり少数派の問題は彼らの消化、吸収、解毒、排出といった内臓での毒素の無害化能力に問題があるのであって、本来なら自身の低能を責め、自責すべき所だ。
しかし彼らはそれを他責する。
悪いのは低能な自分でなく人工的食品だと決めつける。
そこが私は同意できない。
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私の政治思想はヴァンスの掲げるポストリベラリズム、またはポストネオリベラリズムだ。
参政党はその点でかなり近い。
しかし私はアメリカのQアノンの粗暴な無知性が好きではない。
参政党にはQアノンと似た気配がして怖気が立つ。
この寒気はなんだろうと考えると、彼らの政治思想でなく政治的態度、または人格的特性が私と相いれないと気づく。
彼らは他責である。
彼らは自らの粗暴さや無知性を批判せず、他者を責め立てる。
しかし私は人工的食品を解毒できないのは私の内臓の低性能にあると知っている。
非は私にある。
毒と解毒の関係において後者に比重を置くのが私だ。
一方彼らは毒に力点を起き、だから何でも毒だと見なしたら排斥する。
人工的な食品も外国人も障がい者も。
それはまさに優生思想であり、私のは劣生思想だ。
私は発達障害や愛着障害など劣った準障がい者がいかに真っ当に生きるかを模索し、占いや精神世界と関わっている。
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AI による概要
SIBO(小腸内細菌異常増殖症)は、WHOによって正式な疾患として認定されていますが、日本ではまだ保険適用されていません。
SIBOのWHOによる認定と現状:
WHOによる認定:
2024年にWHOによってSIBOは正式な疾患として認められ、ICDコード(K63.821)が割り当てられました。
日本では保険適用外:
SIBOは新しい疾患概念であるため、日本ではまだ保険適用されていません。
専門医でも理解が不十分な場合も:
SIBOは、特に日本ではまだなじみの少ない疾患概念であり、専門医でも理解が不十分な場合がある、と宮本内科胃腸栄養クリニックは述べています。
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SIBOはなぜ起こるかというと小腸を殺菌する胃酸の分泌が低下し、悪玉菌の増殖を抑えられなくなったことが原因であり、小腸の堤防決壊、悪玉菌の洪水と表現できる。
これが更に進むと腸管カンジダ症となり、様々な大病の原因とされる。
しかしSIBOですらWHOでの疾患認定が昨年であり、日本は消化器内科ですら病気と認識せず治療法も提示されない。
患者は何も処置されず放り出されるか、誤診され薬漬けにされる。
この解毒能力の低下と原因の無知誤解はこの世の大抵の問題にも当てはまり、愚か者は毒ばかり目が行き、解毒能力が低下していることには気づかない。
外国人問題にしても悪いのは害悪な人格であり、それは外国人に限らず日本人にもいる。
それを国家の解毒能力が正常に機能していたら無毒化できるが、免疫が低下していたら悪玉菌の洪水に対処できず堤防は決壊する。
洪水は排水能力を越えた場合起こるのであり、それは都市部でも起こり得る。
悪いのは雨水ではない。
劣った排水能力に問題の原因がある。
これを雨水に他責し、雨よ降るなと逆雨乞いする馬鹿はいない。
参政党がいたずらに外国人を排斥するのでなく、害悪外国人のみを抽出し、取り除くなら正常な解毒能力と言える。
犯罪を犯した外国人を不起訴にし、不問に付すことで表面上無害処理をしても実質的な害悪さは変わらず、解毒に失敗している埼玉県のクルド人問題を見るに、リベラルな立憲民主党のやり方が正しいわけでもない。
立憲の手法は「毒を毒と思わず飲み込めばそのうち体の方が毒に慣れるよ」という昭和の田舎のような無茶なやり口だ。
それで失敗したのが欧米であり、毒はどこまでいっても毒なのは揺るがない。
それゆえ解毒能力を改善しないと始まらない。
私がポストリベラリズムとして左翼を批判的に見、返す刀で新自由主義を売国奴視するのは彼らが国を危うくする紛うことなき毒物、または解毒能力を低下させる麻痺成分だと見なしているからだ。
彼らを悪と断罪するのは簡単だが、問題の真因は彼らの台頭を許した国家の解毒能力の低下にある。
左翼が台頭したのは右翼の失政(敗戦)にあり、清和会の隆盛は経世会の自滅(汚職)に原因があった。
この自責としての自身の解毒能力の自己批判は極めて重要な観点であり、それのない安直な他責は真の問題を透明化させ、体質改善を遠退かせ、身を滅ぼす。
良識が失われると野蛮が跋扈する。
解毒能力が低下すると毒が体を蝕む。
野蛮も毒もこの世から消せないなら共生するしかなく、それゆえ解毒の良識が求められる。
このシンプルな因果関係、物の道理をなぜ人は忘れるのか不思議でならない。