天才と言えども人間だから、すべてにおいて完璧であるはずがない。
ある面で突出した才能を見せても、ほかのことでは全く役に立たなかったりする。
だから周りに居る者が、親身になって世話をして、初めて花開く。
トルストイもドストエフスキーも、奥さんが居なければ文豪と呼ばれなかったかもしれない。
作家の書いた読みづらい書体を妻が何度も何度も清書し直したり
作家の口述する小説を速記で書き留めたり
個人的に、よほどの理解者でなければ、それを作品として仕上げられなかったと思う。
まさに一心同体のなせるわざ。
作品を読めば、やはり素晴らしい人間性が垣間見えるのだけれど、立派な言葉が並ぶほど
本当の、現実に生きた姿を想像してしまう。
ともかく、彼らは戦争や暴力を否定していて、罪人ほど救われるべきだと説いている。
最近、仏壇のロウソクに火を灯す時に思い浮かぶのが彼らの作品世界なのは、親鸞聖人の
「悪人正機」に通じる世界観があるからだと思う。
トルストイはロシア正教会から破門されるほど、当時の教会に盾突いた。
ドストエフスキーは作品の中で罪を真につぐなうとはどういうことかを追求している。
農奴解放が人々に何をもたらしたか。
貴族衰退、成金続出、拝金主義、貧困、犯罪・・・。
秩序が失われ、人々がなにを信じて、何をよすがに生きればいいか混迷していた。
彼らが作品中で追い求めた信仰は壮大な「愛」が基盤となっている。
平和と人権を心底追求した結果、みずからの人生を捧げつくした文豪たち。
天命を受けたかのように、彼らを支えた妻と、関係者各位に敬意を表したい。