タバコは、吸ったことがない。
酒好きだから、愛煙家だと勘違いされたりする。
が、真面目な高校時代はもちろん、
ヘビースモカーの雀友たちに囲まれた大学時代も、
ちょっと一本だけ吸ってみようか…
という気にさえならないままである。
しかしながら、タバコを売ったりしているのだ。
5年前、大分では全国に先駆けて、
タクシーでの禁煙を取り入れた。
ウチでも、タクシーの中はもちろん、
事務所や待合室も禁煙にしたりするものだから、
お得意さんである愛煙家たちの非難の的になったりもした。
健康を害するからという社会的な風潮もあったのだろう。
が、節度なき販売精神というか、
禁煙タクシーを導入しながら、
一方でタバコを売っていたからか、
私を良く知る近所の愛煙家たちも、
次から次とタバコをやめていった。
今日は、天気のいい日曜日であった。
とはいえ、風が冷たく寒い。
一人の客が事務所に入ってきた。
杖をついて、半身が不自由なようだ。
どうやらリハビリを兼ねて、
1kmちょっとの道程を、
家から歩いてきたらしい。
事務所の中に入ってくると、ぶっきら棒に言った。
「タバコをおくれ…
キャスター・ワンを二つ。
タスポは持っちょらん…」
タバコの注文や在庫管理は、
すべて家内に任せている。
自慢じゃないが、
タバコの銘柄だけでどんなタバコかイメージなんてできない。
愛煙家の運転手に、買って来させる。
お客は、ソファに腰かけると立つのが辛いと、
壁に寄りかかったまま待っている。
自動販売機で買ってきたタバコを渡すと、
一つは大事そうにポケットに入れた。
そして、もう一つは包装紙を破ってくれと言う。
一本だけ取り出しやすいようにして返した。
口にくわえると、
自由な右手で器用にライターを操って火をつける。
大きく深呼吸するように、
タバコの煙を胸に一杯吸い込むと、
しばらくしてプワーッと吐き出した。
実に美味そうである。
「この部屋は禁煙だから、外で…」
という言葉が無粋すぎて言葉にならない。
立て続けに何度か煙を胸いっぱいに吸い込んだ後、
独り言のように呟いた。
「家内も、息子も、身体んため…とか言うけど、
今さら止めて寿命がどんだけ延びるちゅうのか。
これを止めた方が身体が悪ぅなる。」
右手にはさんだタバコからは、紫煙が立ち上っている。
よく知っているその人の奥さんと息子さんの顔が瞼に浮かぶ。
夫や父に対する家族の愛情を、
踏みにじっているようで申し訳ない気にもなる。
「昨年9月に入院してから、
この間やっと退院したんやけど…
この味だけは忘れられん…」
一服のタバコというには、凄まじすぎる喫煙だった。
壁に寄りかかったままだったから、
そう見えたのか。
あわてて探して出した灰皿には、
僅かにフィルターだけを残していた。
もしかしたら、半身の自由を奪った原因なのかもしれない。
だから、健康のためタバコを止めるべきなのだという人も多いのだろう。
しかし、黙々と一生懸命仕事をした後、
一服のタバコを燻らす時に、
ほんの束の間の最良の休息…
美味そうなタバコ呑みの姿を、久々に見たような気がする。