共同炊事場とトイレを備えた、
古びた2階建て木造アパートであった。
当然、部屋に風呂などあろうはずもない。
学生時代を、5年間東京で過ごした。
その間、5つのアパートを転々とした。
第1春風荘は、その一つのアパートであった。
3畳一間だったが、家賃は月6千円。
貧乏学生には何一つ申し分なかった。
ただ…
最寄の銭湯が遠かった。
一番近い銭湯は、
東京学芸大学のキャンパスの中を横切って、
徒歩で10分以上かかった。
東京学芸大学の学生ではない。
よそ者が、大学構内を洗面器とタオルをもって通過するのである。
まるで、ビザなしで国境を通過するような感じで、身が狭い。
照れ隠しに、大学構内は駆け足で通過する。
行きはまだイイとしても、帰りも駆けたりするもんだから、
銭湯で綺麗になったばかりの身体が汗ばんで、
何のために銭湯まで行ったのか分からなくなってしまったものだ。
それが嫌で、だんだん銭湯から遠ざかるようになった。
共同炊事場のヤカンで沸かしたお湯で、上半身をタオルでふいたり、
あるいは、同じ射撃部の友だちのアパートに泊まり込み、
近くの銭湯に通ったりすることもあった。
夏場の暑い日は、大変だった。
当然3畳一間の部屋には、エアコンなんてものはない。
パンツ一丁で寝ていても、あせもができた。
そして、それが化膿して、オデキになる。
顔にも、背中にも、お尻にも吹き出物ができた。
夏休みに帰省した時、
身体のあちこにあるオデキの原因を知った母は、
銭湯の近いアパートに移るよう執拗に勧めた。
翌年上京して東京で大学生活をする予定であった
弟と二人同居できるよう、
6畳と4畳半のアパートを荻窪駅に近い所に借りた。
やはり風呂は付いていなかったが、
部屋にトイレとキッチンを備え、
何といってもエアコンの付いた、
貧乏学生にとってはお城みたいなアパートであった。
歩いて3分の所に銭湯もあり、
顔やお尻の吹き出物は、すっかり影をひそめた。
ただ、背中を竹製の30cmのモノサシで掻く癖は直らなかった。
背中の吹き出物は化膿してただれ、
それをまた不衛生な竹のモノサシで掻く…
という悪循環が長く続いた。
今でも、どこぞやの観光地で買ってきた孫の手は、
居間の私の座る位置から手の届くところに置いてある。
もう吹き出物というより、吹き出物の化石とでもいうべきシコリを、
その孫の手で掻く。
例の泌尿器科の2回目の診察の後、
その病院の形成外科で、
最近あまりに痒いそのシコリを診てもらった。
右に3個、左に2個にあるのだそうだ。
切開して取り除くことになった。
そして今日、その手術がおこなわれた。
本格的な手術台に上がり、
大学時代から育ててきたシコリとオサラバした訳である。
大きい3個だけ切除すると言うのを
ついでだから、5個全部取って…
と、うつ伏せになりながら、
まるでマッサージ師に肩こりでもとるような調子で頼む。
手術時間も結構かかり、結局、4個だけが取り除かれた。
これで、背中を必要以上に掻きむしる癖も、直るかもしれない。
知っていただろうか。
男の背中は、歴史を刻み込んで今日に至るのだ。
学生時代の赤貧の生活の影を、
未だ背中に映し続けていたのだから。