わが家には、五右衛門風呂の内湯があった。
母方の実家は、教師で生計を立てる祖父が、
6人の子供を育てる赤貧の家であった。
当然のことながら、そこには内風呂なんてなかった。
でも、われわれ兄弟にとって、
母の実家に行く楽しみの一つは、
祖母から貰う小遣いと、
祖父に連れ行かれる銭湯であった。
祖父は、銭湯の営業が始まる4時ちょうどに行く。
まだ他人の湯垢にまみれない一番風呂に浸かって、
身を清めるのが好きだった。
陽射し差し込むまだ明るい銭湯に、
洗面器のかん高い音が響く。
この時間に来ているのは、
老人と子供だけである。
祖父は、いつものように、
あ~、ゴ、ク、ラ、ク…、ゴ、ク、ラ、ク…
と、妙な呪文を唱えながら、
フォーーォッと、満足そうなため息をつく。
熱くて湯船から出ようとすると、
100をゆっくり数えてから…などと言い出す。
だったら、もっと早く言ってよ…
と、口を尖がらせながら…
イチ、ニィー、サァーン、シィィー…
と数えていると、
奥の方で湯船に浸かっていた他所の爺さんが、
ガパッと立ち上がったりする。
波が立って……、熱い!
憎しみをこめて、
湯船を出ようとする見知らぬ爺さんの、
後姿を睨む。
顔は見えないが、すっかり張りを無くした尻かぶとの
垂れた皮だけは、今でも脳裏に残っている。
クソッ垂れ爺の姿として…
話は変わる。
今年の冬は、寒い。
それだけじゃなく、乾燥した日が続く。
この時季の乾燥した空気のせいか、
身体に湿疹ができた。
先ほど風呂上りに、
脱衣場の鏡に身体を映す。
年明け早々胸にあった湿疹が、
脇腹から足の付け根まで広がっている。
尻まで広がっているのだろうか?
もしや…
いつ何時に…
ご婦人の前ですっかり筋肉の落ちた裸体を、
さらけ出す必要が訪れるやも…
などと考えたりするのは、空想好きな男の常である。
振り向きながら、後姿を鏡に映す…
そして、念入りに自分の尻を見ていて…
あの日の光景が蘇った。
「ボク達、ちゃんと100数えるんぞっ…」
と、早く湯船から出たくてたまらないやわ肌の幼児に、
熱いお湯の波を送った…
あの爺さんの尻かぶとのたるんだ皮。
あ~
あの青年時代のプリンのような尻の皮膚は、
もはやすっかり弛んでしまって、
あの昼下がりの銭湯で見た、
夜市で買ったヘリウムガスの入った風船が、
翌朝床に転がった時のだらしないあるゴムのたるみ…
そのものであったのである。