昨日、恩師の最終講義があった。
大学の恩師である。
ゼミで、2年間学ばせていただいた。
1、2年の間は、
体育会射撃部に所属していた。
大学のキャンパスなどに通わず、
毎日朝霞の射撃場にばかり通っていた。
おかげで成績は悲惨。
A評価の単位は、
体育会に所属していればもらえる体育を除いて一つもなかった。
同じクラスの、いつも代返を頼んでいた友人から、
Aの単位が25以上なければ、
まともな企業など相手にしてくれないと知ったのは、
年末恒例の射撃部の納会が終わった後だった。
しかも、ゼミに入って専門的な勉強もしておかねばならないと言う。
オイルショックの後遺症が残り、
今ほどではないものの、厳しい就職難の時代であった。
ゼミというシステムがあるのを知ったのも、
この時が初めてだった。
晩冬の冷たい風の吹くキャンパスの学生掲示板に、
入ゼミの試験案内は疎らであった。
有名な実力のある教授のゼミは早くから試験や面接が行われ、
もうすでに締め切られていたのであった。
第二次募集とある不人気だと思われる他のゼミは、
試験科目にマーケット論とか金融論とか専門的な試験がある。
そんなもん、全くダメ。
何せ、真面目に講義なんて受けていなかったからである。
そんな中に、時期遅れでありながら一次募集で、
試験要項に「1.英語と数Ⅱの筆記試験 2.面接」
というゼミがあった。
英語はともかく、数学だけは得意であった。
面接にいたっては、自信さえあった。
それが、そのゼミに入り、その先生と知るきっかけになったのである。
先生の名前も初めてだった。
専門が何かも知らなかった。
まだ、35歳の若い助教授だったのである。
草刈正雄に良く似ていた。
が、口から出る言葉はベランメェ口調である。
「オレのゼミに、試験なんていらねぇ~ょ。
入りたいヤツは、皆入れればイイ…」
実際、入ゼミの試験と面接は、
その頃はまだ、卒業間近の4年生がしていたのである。
ゼミの4期生になった。
先生の自宅は、下町の浅草寺の裏手にある。
生粋の江戸っ子である。
同級生に向島の芸者の娘さんがいたり…
親しい友人に、浅草演芸ホールで活躍している浪曲師がいたりする。
歳の市で煌びやかな羽子板や、
ほおずき市ほおずきを値切って買って手締めをしてみせる。
「なっ、江戸文化には情緒があるだろ…」
向島出身の同級生の経営する場末のスナックで、
場違いの白ワインを飲ませてくれた。
先生のお宅にゼミ生を招いて、食事を振舞ってくれたりもした。
奥さんと、二人の子どもとも親しくなった。
希望の大学に入学できず、斜に構えた東京での学生生活に潤いが生まれた。
その無名だったゼミもいつしか有名になり、
多くの学生が入ゼミを志願するようになってきた。
先生もテレビやラジオに出演して、活躍するようになった。
が、経営学部長をした後も、
名誉とか地位には一切こだわらない、先生の生き方は一貫していた。
自分で、自宅に私塾を構え、
学生に係らず一般の人も集めて無報酬で教えている。
最近は、小さな子どもに論語を教えるのを楽しみにしているのだとか…
最後の講義で、仰った言葉。
勝ち組、負け組みだなんて世間は評価するけれど、
所詮9割は運だって言うことです。
ほとんど運によって定められた中で、
あと一握りの努力が必要と言うことで…
これはもう一人一人がどうすることもできない訳です。
じゃ、その運に左右されない豊かな人生は…って言うと、
心の世界だと言うことになりますね。
小説を読んだり、映画を観たり、オペラを鑑賞したり…
心の機微に触れると、世界が豊かになるのです。
心の機微を感じるためには、
豊かな教養が必要となるのです。
そうして掴んだ豊かな心は、
他人と比較したりではなく、
自分のペースで、豊かな幸せを感じることができるのです。
最後の講義の冒頭は、オペラ映画「カルメン」が上映された。
162分間。
すっかりメタボになった身体には、
マンモス教室の木の椅子は硬く、
前後の幅は狭かった。
まるで、座禅をさせられた後の説教を頂く心地であった。
豊かな知識が、豊かな教養を養い、その教養が豊かな心を育む。
他に比較するのではなく、自分のペーズ豊かな世界に生きるべし…
また一歩、悟りの世界に近づかれた先生。
長い間の教授生活、お疲れさまでした。