小さな町に、37回も続いている花火大会がある。

小さな町だからと言って、侮ってはいけない。


昭和46年の秋。

その小さな町の沖合いの磯が埋め立てられて、

滑走路ができた。

空港がその町にできたのである。


地元は、活気づいた。


空港ができて2年目の夏。

地元の商工会青年部が、花火大会を企てた。

小さな町の、小さな商店のオヤジさんたちから集められた浄財で、

小学校のグランドで花火が打ち上げられることになった。


花火だけでは、あっという間だから…

と、小さな町の青年団と婦人会により、

懸賞盆踊り大会も開催されることになった。

そして、手作りの露天やビアガーデンが、

商工会の青年部と女性部によって設けられた。


当時、大学生だった私は、

母からもらった前売り券を持って、

その花火大会のビアガーデンに行った。


生ビールと称されて出されるビールは、

瓶ビールをジョッキーに注いで出されるものだったし…

カキ氷は、あるうどん屋で日頃使用している、

手回しの砕氷機で作られるものだった。


でも、製氷機を汗だくで回している薬屋のオイちゃんの顔…

ビヤガーデンをジョッキーを持って走り回るカメラ屋のオイちゃんの顔…

うどんを運んでいる、肉屋のオバちゃん。

いつも見慣れた商店のオイちゃん、オバちゃんたちの顔は、

どの顔も活き活きしていた。


花火は、単発の花火が100発。

いや50発くらい上がったのだったろうか…


狭いグランドからは、テントと校舎の陰に隠れて見えにくかった。

それでも、にわかビアガーデンの露天商と、

たくさん集まった地元住民からは、

喝采の声があがっていた。


あれから、36年。

小さな町も、合併で新しい市となった。


第37回を数える花火大会は、

尺玉花火30発をはじめ、3000発の色とりどりの花火を打ち上げる大会となった。

会場も、潮の香りのする港に移った。

そして、小さな町に、近隣から多くの人が集まって、賑やかな夜となる。


青年団と婦人会で始められた、懸賞踊りのために作詞作曲された音頭は、

いつの間にか、すっかり住民たちの体と心に沁み込むことになった。


小中学校の運動会の全校踊りで覚えて育った世代が、

小学生や中学生の子どもを連れて里帰りして、その会場に来る。

その音頭のリズムに、懐かしさを覚え、自然と体が反応するという。


この小さな町の、夏の小さな風物詩は、

もうすっかり地域の文化となったのである。



ずっと後援をしてくれている地元新聞社のおエラさんから、

今年の懸賞踊りの講評で、お褒めの感想をいただいた。


「県下あちらこちらの花火大会に同行しますが、

 ここの会場は、本当にアットホームで感激します」


その花火大会を運営する人たちも、すっかり世代が変わった。

中には、ジイさん、オヤジ、後継者と三世代にわたって、

大会に関わっている商店もある。


ずっと続くことに意義があるのだと思う。

そして、今後もずっと続いて欲しいと願う。


今朝も、蝉の鳴き声の朝を迎えた。

また今日も、暑い一日になりそうである。


中学生のボランティアも含めて、小さな町の住民が、港に集まる。

これから、昨夜の賑やかだった会場の、あと片付けが始まるのである。