日曜日の夜。
バラエティー番組に、普通の家の、普通の子供が出演する。
いや、普通の子ではない。
将棋が上手かったり、農業に情熱を持っていたり、ギターの名演奏者だったりする。
大人びた言葉づかい…
落ち着いた態度…
いわゆるこましゃくれた子供達である。
身体つきとのギャップがかわいくて、笑える。
彼らが大きくなった時、どんな大人になるのだろう…
と、目を細めたりする。
ところで、私は、二人兄弟である。
2歳年下の弟とは、近所で評判なほど、仲が良かった。
夏休みや冬休みは、母の祖父母の家によく遊びに行っていた。
母は6人姉弟である。
母の里は決して裕福とは言えなかったが、祖父母は初孫である私と弟には、有り余る愛情を注いでくれた。
教師であった祖父は厳しかったが、祖母はいつもニコニコとしていた。
母の実家で、祖父母から大きな温かい愛情を感じることができた。
正月になると、稼業に忙しくて帰省できない母を除いて、多くの伯父叔母と従兄妹たちが集まった。
そして、われわれ兄弟にとっては、効率よくお年玉を集めることができたのである。
私が4年生の正月だったと思う。
もらったお年玉を握って、近くの駄菓子屋に行った。
母の実家から、300mほど離れたT商店である。
薄暗い店に入ると、駄菓子が並んでいる。
われわれ兄弟は、それに目もくれず10円のくじ引きに目をやる。
正月らしく、カルタが賞品のくじがあった。
大きすぎるくらい立派ないろはガルタが、目に入った。
特等のその大きなカルタも、1等のカルタも、まだ誰にも当っていない。
しかも、特等も1等も、それぞれ2個ずつである。
当たる確率が高いのである。
それだけではない。
だんだん小さくなるけれど、5等までの賞品のカルタ全部が、まだ当たらず残っていたのである。
「兄ちゃん、これやっち見るか…」
と、小学校2年生の弟が先に言ったのか、
「このくじ引いて、いろはカルタを当てて、みんなでカルタ遊びでもしようか…」
と、私の方がそそのかしたのか、まったく記憶にない。
軍資金だけは、それなりにあったはずである。
1等のカルタはすぐ当った。
そして、次から次に、2等、3等、4等、5等のカルタが当たった。
しかし、目的の大きないろはかるたの特等が当たらなかった…
その悔しさだけは、よく覚えている。
ハズレの賞品が、イカのしの菓子だったか、酢昆布だったか…
その記憶も全くない。
われわれ兄弟は、賞品のほとんどのカルタを手に入れていた。
目的の特等の大きなカルタも、1個だけだが、すでに当たっていた。
残りくじが14、5枚くらいになっていた時だと思う。
弟に提案した。
「全部、引こうや…
あと、特等のカルタが1個と、1等のカルタが1個。
それに3等も、この中に絶対入っちょんのやから…」
実は、弟にけしかけたであろう、その辺の記憶は定かではない。
ただ、もしかしたら最初から特等と1等のくじがなかったのでは…
そんな疑いの眼差しなど微塵もなかったことは、間違いないのである。
結局、全部のくじを引いた後も、まだ特等と1等のカルタは、残っていた。
この類のくじは、最後まで購入意欲を無くさないために、最初から特等や1等の賞品は見せかけにするため、当たりくじを入れてなかったのだ。
純粋だったのか、単なる世間知らずだったのか…
われわれ兄弟は何一つ疑わなかった。
「駄菓子屋のおばちゃんがサービスやちゅうて、僕たちに全部くれた…」
と、賞品のすべてのカルタを、それを陳列していた箱ごと、頭に乗せて自慢げに持って帰ったのはよく覚えている。
従兄妹たちにも、賞品のカルタを分けてやろうな…
と、凱旋将軍のような気持であったと思う。
ところが、当然のことながら、帰るなり大目玉をくらってしまった。
いつもはニコニコして、めったに怒ったことなどなかった祖母からである。
眼鏡の奥のいつもは優しい目が、冷たく寂しそうだった。
ウキウキした気持ちは、木っ端微塵に打ち崩されることになった。
大人びた子どもの登場したバラエティー番組を見ながら、ふと思う。
われわれは…
あの頃の子供は、本当に純粋で初心だったんだなぁ~と…