冬季オリンピックが、開催されている。

スノーボードの選手の腰パン騒動が、かまびすしい。


そう言えば、わが家の二男も、高校生時代の頃、制服のズボンをずり下げて、だらしない格好をしていた。


我々の子どもの頃は、シャツをズボンの中に入れて、ベルトはキュッと締め上げる…

ベルトのバックルは、シャツのボタンラインの延長上。

今は見ることがなくなった学生帽や、家に帰ってからかぶるジャイアンツの野球帽は、おでこを隠すように深めで、当然のことながらヒサシが、横を向いたり、後ろを向いたり、上に向かってそそり立つようなことは、決してなかった。

小学生時代のクチコという遊びの時、役目を表わす時以外は…


だらしなく下がったズボンを、ファッションだと言い張る二男に、

「パンツを見せんと、女にもてんような男か?」

と注意すると、「ウゼェー」と、盛りのついた猫のような鳴き声の応答する。

その態度が悪いと、また叱ったりしたものだった。


大学を卒業して上場企業の営業マンとして働く二男に、今やその面影はない。

わが息子ながら、スカッとした好青年になったものだと思う。

ビシッとした服装には、その人の精神や品格がにじみ出てくるように感じる。


なのに今の若い連中は、どうしてあのだらしない姿が格好良く見えるのだろうか。


風の悪戯でフレアスカートの裾がめくれて、それを手で押さえる…

そこに女性らしい色気が漂うのである。

駅前の人通りの多いところにしゃがみ込んだ若い女性のパンツがだらしなく下がって、カラフルな下着が見えているのは、色気を感じるどころか、世も末だと情けなくなってしまう。


昭和の高度成長期を少年として育った中年オヤジには、あの腰パン・ファッションだけは、どうしても理解できないのである。


物分かりのいい家内が、そうオヤジ化しないで…と、解説してくれる。

あの腰パンは、レゲエダンスや、スノボーの流行で、しゃがみ易い服装として流行りはじめ、それが若者文化として発展したのだと言う。


それにしたって…

と、眉間にシワを寄せて、反発しながら、ふと思い出した。

そう言えば、小中学生の頃、ズボンの臀部の縫い目を、よく綻ばせていたものだった。


今の若い連中のようにしゃがみ込んで、お喋りなんぞすることはなかった。

が、ひょいと両膝を曲げてしゃがみ込むと、バリッとけたたましい音をたててズボンが割けた経験は何度もある。

新鮮な冷たい風が、スーッと尻のまわりに忍び込んできて、あわてて手で覆い隠す。

白い綿でできたサルマタが、黒いズボンの生地に目立って、それを隠しながら歩く姿は情けなかったものである。


そうか、あの時代に腰パン・ファッション文化が存在していたら…


「また破れたのぉ~。

 本当にアンタは、大きなお尻じゃあからなぁ~」

と、息子の肉体的欠陥を平気で口に出していた母に、たびたびほつれを縫ってもらう必要がなかったのかもしれない。

少なくとも、口に手を当ててクスクス笑っていた同級生の女の子の目だけは、気にしなくて済んだに違いないのだ。