もう半世紀近く前の話である。
正月の浮かれた気分が終わる頃となる、1月5日は書初め大会があった。
この地域を中心に、800人近くの小中学生が、この田舎のとある小学校に集まった。
主催は、田舎町の小さな書店であった。
創業者のご主人が、書道文化の発展のために…と、書道の指導者の協力を得て、始めたものだった。
もう30年前に亡くなった母は、教育熱心であった。
と言っても、ただ単なる点取り教育ではない。
書道やそろばんなどの寺子屋教育は、きっと将来役立つ…と、遊び盛りの子供たちに、無理やり墨を磨らせ、筆を持たせていたのである。
クリスマス、大晦日、正月行事の続く冬休みは、子供たちにとって、ワクワクの連続である。
クリスマスプレゼントとお年玉は、その喜びの象徴だった。
そんな中、夜の1時間の書写の時間は、私たちにとって苦痛の時間であった。
自分で言うのも憚れるが、私は従順な子供であった。
この程度で、自分で納得できる作品なの…?
と母から問われると、目に涙をためながら、また十数枚の書を書いたものだった。
新聞紙を引きつめた座敷が、書写道場である。
隣では、二つ下の弟も書写していた。
が、2、3枚書き終えると、もうすぐ止めてしまう。
その分だけこちらに母の注目を得るという悪循環であった。
その練習量の少ない弟の作品が、特別賞を受賞したりする。
作品展示会場で特別賞の大きな金色の短冊を見ると、世の不条理とともに、今までの努力はいったい何だったろう…
そんな脱力感を、覚えたものだったが。
新年が幕開けした。
あなたにとって、新年の香りは…?
と訊ねられたら、一般的には何と答えるのだろうか。
私にとって、新年の香りとは、墨の香りである。
それも新聞紙から漂うインクの香りの混じった、墨の香りである。
その懐かしきも苦き思い出の書初め大会は、指導者を亡くしてから、しばらく中断されていた。
それが、数年前に復活された。
県内でも屈指の書道の指導者である、M先生の快諾のおかげである。
復活を言い出したのは、墨の香りにせっかくの冬休みを、台無しにされたと勘違いしていた他ならぬ私である。
今になって、筆を持つ毎に、あの時のおかげだ…と、感謝している。
中には墨の香りに、せっかくの冬休みが台無し…と思っている子供もいるかもしれない。
そんな子供たちも、きっといつかは日本文化の価値が解るようになる日が来る。
少しばかりの恩返しのつもりである。
明日は、復活して4回目の書道大会。
1月5日は、今も昔も新春の浮かれた気分に幕引きをする日でもあるのだ。