そんな訳で…
(どんな訳かは、前日のブログ記事を参考に…)
しこたま飲んだ割には翌朝の体調も良く、早々にわが家に戻ったところに電話が入った。
ばあちゃんが入居している近くの老人ホームからである。
昨夜から痛がっていた右膝が腫れあがり、診察を受けたら骨折していた、と言うのである。
明治38年2月に、ばあちゃんは生まれた。
満104歳である。
元気である。
食欲も旺盛である。
ただ、私を孫と認識できず、自分の次男だと思ってしまったりする。
「アンタを色黒に産んだことだけが、悔やまれる…
顔立ちは、私に似て男前なんやけど…」
と言ってニヤッとする時は、母親の愛情を感じさせ、本当に可愛い。
ただ、私を自分の次男、つまり私の叔父と勘違いして、説教したりもする。
「○○(私の父の名)の長男が帰って来て、手伝いよるけど…
ボンボン育ちで、何~んも苦労を知らん。
アンタが、遠目に見ちょってやらんと・・・」
ボンボン育ちで、監視が必要だと言うのは、他ならぬこの私のことだ。
この言葉は、直接言われるより堪える。
その監視役の叔父も、8年前に他界した。
ばあちゃんは、趣味の活け花の先生もやってきた。
老人ホームで、数日前に活けた自分の花を見て、
「これは立派に活けてあります。
ちゃんと基本の出来た方の作品でしょうね…」
と賛辞を贈ったという話を聞いたことがある。
何十年もやっていた活け花は、もう体に沁みこんでしまっているのだろう。
かつて教え子だった生徒の皆さんも、次から次へと鬼籍に入っていく。
「先生はまだご健在ですか?
もう、こっちの方が先に逝きそうで・・・」
とか言われても、決して冗談の話ではなくなってしまった。
そのばあちゃんが骨折したと言うのである。
近くの病院に入院することになった。
老人ホームに、ばあちゃんの世話をすっかり任せきりにしていると、気持ちが遠ざかってしまっていた。
入院して、急に家族の一員である現実を突きつけられる。
今朝、病院に顔を出してきた。
相変わらず血色のいい笑顔で迎えて、やたら手を握りたがる。
「アンタ、ちゃんと朝ご飯は食べたんかぇ?
ここん病院の人に頼んじ、ウドンでん食べさせてもらいよぉ~~」
わが家は、商売をしていた。
11歳年上の明治生まれの厳しい夫に嫁いで、奥を切り盛りしていた。
いつも家族や住み込み職人の量以上の、飯とみそ汁と漬物を用意していたらしい。
そして、家に立ち寄ったお客さんに…
朝は食べたかい?
昼は食べたかい?
と尋ねては、飯とみそ汁を振るまわっていたという。
そんな話を、もうすっかり高齢者となったヨボヨボのおじいさんから聞いたりする。
本人からより、お客さまから伺う昔話は、一層わが家が地域の人にお世話になったことを知って、感謝の念が増す。
104歳バンザイ。
出来の悪いボンボン育ちの監視の必要な孫のために、もうしばらく長生きして、商売に必要な心を残し伝えて欲しいと願っている。