昨日は、五木寛之さんの講演を聴く機会に恵まれた。

もともと好きな作家だし、なかなか良い講演だったと思う。


戦後50年間の「躁」の時代は終わり、今からは「鬱」の時代が数十年にわたり続く…

「萎える」は鬱の状態だが、この時代こそ「萎える」⇒「しなる」つもりで暗愁たる思いで過ごすべき…

等々、時代の捉え方や生き方の話には、大いに感銘した。


こういう日は、じっくり酒を飲みたくなる。

人生を語りたくなる。

世の儚さを嘆きたくなる。


酒飲み友達を誘おうと、電話をかける。

二人目に断わられた後、やはりこういう日は、一人もの静かに飲むのがいい…と、思いなおす。


都町の行きつけの居酒屋に行き、定席の止まり木に腰かける。

まだ早い時間だからか、他に客はいない。

女将と二人きり。

先ほど聴いたばかりの講演内容を、ひとしきり話す。

女将は女将で、昨夜のイヤな客の愚痴をこぼす。

さんざん酔っ払った後、理不尽なことを言われて、店を閉めた後、涙が止まらなかった…と。


そう言えば、五木寛之さんが言っていたっけなぁ~

悲しい時や苦しい時、辛い時は大いに泣けって…

泣いて、嘆いて、愚痴をこぼした後、ちょっとした幸せに感動するし、些細な喜びでも、腹の底から笑うことができるって…


根が単純である。

もうすっかり、講演に感化されてしまっているのである。

聞いてきたばかりの言葉を、並べる。


そのうち、次から次へと客が入ってきた。

カウンターは、まるで電線にとまった雀の状態となる。

しばらくは、一人酒を楽しむ。

が、退屈してくると、焼酎の少なくなったグラスの中の氷を、カラカラと音をたてて遊んだりする。

すっかり、鬱の状態の孤独な人間になりきって、一人悦に入っていた…

が、元来淋しがり屋の人間が、そういつまでも孤独を楽しめるはずがない。


左隣の元気溌剌とした男に声をかける。

私より5歳しか違わないという。

まったく染めていないと言う、真っ黒な髪の毛を誉める。


うっ、マズイ…

その向こうで一人飲んでいる男性が、話が聞こえたのか、その黒々した髪を見ているではないか。

彼の髪はというと、すでにバーコードの状態なのである。


「そちらのお客さんは、また、肌の色、艶がいいですねぇ。

 色が白いし…

 九州出身じゃないでしょ。

 東北…、たぶん秋田ですよね。 うちの秋田出身の義叔母も、肌が綺麗で…」


とんだところで、身内の話なんぞを披露したりしている。

長崎出身の彼は、東京に家族をおいて、単身赴任2年目らしい。


そうこうしているうちに、一人できていた右隣の女性客が笑っているのに気づいた。

話しかけると、県立高校の教員で、女将の友達だという。


「私も、5、6年前、高校のPTA会長をやってたんですよ…」

それが一体、彼女とどんな関係があるというのか。

バーコードの向こうで、一人飲んでいた、常連客だという女性にも話しかける…


そして…

もう完全に感激したはずの講演は、まったく酒の肴になってしまっていた。


「今日ね、素晴らしい講演聴いてきたんですよ。

 袖振り合うも、多生の縁。こうやって見も知らぬ人間が、出会えることを感謝して生きなさい…って言う話だったんですけどね…」


五木寛之さんがいつ、そんなことを言ったというのか。

捏造引用は、感激したはずの講師に対して失礼と言うものだ。


「この5人で、『五人会』を結成しましょう。次回開催は…

 来月の今夜。この居酒屋でまた落ち合う…っちゅうのは、どうですか?

 こりゃあ、面白い。人間の出会いの妙味ですって…」


異常に、盛り上がった。

いや、はしゃいでいたのは、もしかしたら一人だけだったのかもしれない。


その後、一人でぶらりと入って来た人にも声をかけた。

「たった今できた『五人会』。今ならまだ入会可能ですよ…」


いかん。

もうすっかり躁状態である。

今後数十年続くという鬱の時代は、感性豊かな鬱状態で過ごして構わない…

と、講演会で話されていたことなど、もうすっかり忘れてしまっていた。


結局。

来月8月のとある日の、午後6時30分。

この居酒屋の奥座席で、その6人が集まることになった。

女将も入りたいというので、会の名前は『七人会』。


昨日の講演が…、

あれだけ心の奥底から感激したはずの講演が、私の人間形成に役立ったというのか。


何より、来月、何人が集まるというのか…

七人会で出会う約束をした6人の男女。

それぞれ、来月が楽しみだ…とは言っていたが。


もしかすると、誰も来ず、女将と二人の『二人会』となるかもしれない。

その時は、深い人間不信に陥るのだろうか。

でも、それはそれで五木さんの勧める鬱を感じることとなり、今後新たにできる人間関係を、心から喜び感謝できる人間になるのだろう。