電気を消してスローな夜を…
夏至の夜の今夜、「100万人のキャンドルナイト」が開催されたらしい。
建物の照明やネオンを落として、地球環境のためにというものだ。
ロウソクの灯りは、ロマンチックである。
でも、それは…
スイッチをひねれば、昼間のような明るさが保証されている時だけの、心の余裕の産物だと思う。
私が中学校2年生の2月だった。
九州には珍しいドカ雪が降った。
もともと田舎で電車などはなく、公共交通と言えばバスだけ。
積雪によって、交通はあちらこちらでマヒしたはずである。
もちろん、マイカー通勤をする先生も少なかった頃の話である。
中学校までの1.5キロほどの道のりを、いつもより時間をかけて登校した。
自転車通学の友だちの欠席も多く、教室がガラガラだった。
訳もなく、嬉しかった。
いつもの日常的な生活でない空間は、ワクワクするものである。
特に、経済的な被害のことなどまったく心配する必要のない子供には、なおさらのことである。
異次元の世界に紛れ込んだような興奮に陥る。
あの時、電線に積もった雪の重みに耐えかねて、何本もの電柱が倒れた。
水分を多く含んだ雪だったのだ。
当時の電柱は、ほとんどが丸太をそのまま利用していたものが多かった。
その上、雪の重みで倒れた木々によって、送電線もあちこちで切断されていたのである。
その日から停電が始まった。
これもまた、非日常的空間。
ワクワクしたのを覚えている。
2月の夕闇は、早い。
薄暗くなる前に、夕食が準備された。
当時の暖房器具は、練炭を入れた掘りごたつと石油ストーブ。
寒さに対する恐怖はなかった。
今思うと、八つ墓村のシーンみたいな食卓で、家族そろって夕食をした。
もちろんテレビを見ることはできない。
小さな携帯ラジオから聞こえる日産提供のクイズ番組が、妙に新鮮だったことも覚えている。
今でも、日産のCMソングを聞くと、あの夜を思い出すほどだから。
間近に控えた中間考査の試験勉強も、ロウソクの灯で目を悪くする…と、猶予された。
その生活にワクワクドキドキした気持ちは、何夜ほど続いただろう…
停電自体は、確か1週間くらい続いたと思う。
すぐに、いろいろ不便を感じ始めた。
不便だけではない。
ロウソクの灯りに頼って、風呂に入ると、壁に大きな影が走る。
自分の腕や、頭の影だとわかっていても、大雪とともにやってきた雪女の影では…
と脅え始めると、とてもゆっくり温もるどころではない。
第一、家の中だけではなく、町中が真っ暗闇なのだ。
あの時からじゃ、ないだろうか。
停電と聞くと、九電に復旧の見込みを慌ただしく問いただす癖がついたのは…
いや、ロウソクの灯りに照らし出されたシチュエーションでの生活が、地球にやさしい環境を考える時間を与えることには異議がない。
でも、それはいつでも煌々とした灯りを保障された中での、キャンドルナイトなのだ。
それは、ワクワクドキドキ感での空間を、一時的に楽しむものに似ていると思うのだ。
いつまでも電気が来ないのではないか…という不安。
何日も、何日も電気のない生活。
現代の日本では、なかなか実感することができないのかもしれない。
かくして、わが家では、今夜も煌々と電灯が灯っているのである。
【後記】
何やかんや講釈を垂れましたが…
私のブログのデザインは、キャンドルナイトそのものでございました(笑)
よろしければ、スイッチを消して(なぜかONにするのですが…)、地球にやさしい環境について一考して下さいませ