例年に比べて暖かい3月中旬。
いつもの仕事関係の出張ではないが、スーツ姿で上京する。
昨年までよく着ていたジャケットが、小さくなっているのだ。
間もなく来るであろう激痩せに備えて、まるで癌と闘っているような気持ちで、毎食の量を増やしていた。
どうせもうすぐ痩せこけてしまうのだから…と、ジャケットを新調するのも勿体ない気がする。
そんな訳で、MRIとCTのフィルムを入れたカバンを持ったスーツ姿は、どこから見てもセカンドオピニオンをもらう通院患者のそれではなかったはずである。
空港の売店で、関サバの棒寿司を買う。
佐賀関半島の沖合いの速吸の瀬戸に生息するサバは、「関サバ」と呼ばれて美味い。
大学時代のゼミの恩師に手土産にしようと考えていた。
大学時代にお世話になり、浅草寺裏の自宅にも良く招いてくれた。
人生観にも大なり小なり影響を与えてくれた先生には、今回会っておこうと思っていた。
羽田空港に着いて、お宅に電話する。
奥様が出て、今日は教授会で不在だという。
いつもは連絡もせずフラッと立ち寄るのに、畏まった電話に尋常じゃない様子を感じ取ったのかもしれない。
別に大した用事じゃないと言うのに、先生から直接電話が入る。
大学の方に来い、と言う。
教授会をやっている会議のある階には、立派な応接ソファが沢山並べられた応接フロアーがあった。
何十年もたった大学は、我々の頃の襖の裏張りのようにベタベタとアジビラを貼った壁などどこにもない。
ニュースキャスターかと思うようなタイトスーツにハイヒールの女子学生が、隔世の感を抱かせる。
ああ、久々の母校である。
そこの応接フロアーで、関サバの棒寿司を手渡し、それなりの感謝の言葉だけ伝えられればいい、とそう考えていた。
先生は会議室から出てきて、開口一番こう言った。
「お~、Qとん君、久々だね。
良く来たねぇ…
でも、君にとっちゃあ、懐かしいだろ。
と言っても、昔のままなのは、この○○館と△△館くらいかな。
ちょっとボクの部屋でビールでも飲むかい。
今夜は、送別会で夜は付き合えないから…
もう長老だからね。
オレなんかいない方が話がまとまるんだよ。」
矢継ぎ早に歓迎の言葉をかけてくれる。
まるで旧友を出迎えたように…
近代的なタワービルの17階に先生の研究室がある。
冷蔵庫から冷やしたコップを2個と缶ビールを3缶、それに引き出しからいつ開封したのか、食べかけの貝柱の燻製を並べながら聞く。
「ん?!
で、どうした?
今回の上京は何なんだ?」
家で奥様と召し上がって欲しいというサバの棒寿司を開きながら、すべてお見通しのように尋ねられた。
この先生は、下町育ちだからか、人情を感じる。
大学でぶ厚い本を読んでいる学者より、家で飼っている犬の方がよほど世の無常を悟っていると公言して憚らない。
先生は、いつも通り。
そうか、そうか…と、相槌だけを繰り返してくれた。
わずかの時間に、ビールを5缶ほど空けた。
「そうか…
君らしい考え方だね。
このレポートを持って帰って読んでごらん。」
A4用紙10ページほどのファイルである。
先生の教え子、つまり私の後輩で大学の準教授だったN氏のレポートだった。
彼は、昨年11月、肺癌で35歳の若さで逝去したのだった。
それは、闘病生活の合間に、彼自身が教えていた学生と知人に遺した人生観、死生観のレポートだった。
エレベーターホールで、先生と力強い握手をした。
新宿副都心に沈む夕陽が綺麗だった。
春霞なのか、それとも中国から飛来した黄砂なのか。
ぼんやり霞む西の空は黄金色に輝き、高層ビル群も赤黒く照らし出されていた。
何千年、何万年の地球の自転が、毎日繰り返す現象を背景に、この数十年の人類の科学的進歩の結晶の高層ビルが何とも対照的で、滑稽に見えた。
有明病院のすぐ前にあるホテルには、ゆりかもめで向かう。
無人の近代的な乗り物から見える夜景はとても綺麗だった。
が、とても無機質で冷たく感じた。
東京での学生生活や、その後の度重なる上京でも、そこに人がいたから楽しかったんだなあ…と、妙に感傷的になった。
一番先頭の車両には、幼い子ども連れた親子3人が、ベイブリッジや高層ビル群を指さしてはしゃいでいた。
なんとも微笑ましかった。