数日前、悲惨なガス爆発事故が起こった。
渋谷区松涛…
あれは、もう35年前…
ニギビ面で上京して、2ヶ月目。
最初に住んだ春日部の四畳半のアパートから、移り住んだ町。
それが渋谷区松涛である。
最初に入学した某大学○○学部数学科に嫌気がさしたのは、五月病だったからか?
数学は好きだったが、理系の性格だとはとても思えない。
5月末で退学届けを出して、6月から原宿にある予備校に通い始めた。
途中入学を認める予備校はそう多くなく、しかも当時の原宿は、今から想像できないほど、
静かな街だった…
春日部から通うには、あまりに遠く…
その予備校の学生課で、松涛にある貸間を紹介してもらった。
3畳に、小さな床の間が付いた部屋。
月あたりの家賃は、6000円也。
高い所に明かり取りの小さな窓が一つ。
この部屋が予備校生の根城となった。
もちろん、トイレも炊事場も共同。
1階に大家が住み、2階の3つの部屋を貸間にしていることは、間取りの見取り図で分かっていた。
この部屋に決めた!
契約書も交わさず、学生課からの電話1本で、引越しの日だけを大家の未亡人の小母さんに告げた。
選んだ理由は、ただ一つ。
その貸間のある家に行く地図に、「山本富士子邸」という目印を見つけたからだった。
叔父が、山本富士子さんのファンだった。
その名前と、美貌だけはよく承知していた。
九州から上京したばかりの田舎坊には、駅から何分かとか、商店街が近くにあるのか、ましてや銭湯まで何分かとか…
そんなことより、大女優の家がすぐ近くにあることの方が、決定的な理由となったのである。
引越しは、遠い親戚の仕事用のバンを頼んだ。
布団と電気釜と14インチの白黒テレビが主な家財。
「山本富士子邸」の目印が燦然と輝く地図を頼りに、わが住まいはすぐ見つかった。
松涛公園周辺は、高い塀に囲まれた、大きな門構えの大豪邸ばかり。
周りの豪邸に比べると、あまりに貧相な2階家。
杉の板塀を黒く塗った外壁のその木造建築は、あの東京大空襲の戦火にも免れたのであろう…と思えるほどの、古い家だった。
渋谷駅からだと、現在の文化村通りを通り、松涛公園を過ぎた所、閑静な住宅街の一角に、それはあった。
道玄坂の小ぎれいな通りに対して、当時の東急本店に至る通りには、ピンボールやパチンコ屋が並んでいた。
現在、若者であふれるセンター街は、この通りの裏通りの様子を呈していた。
無精ヒゲを蓄えた定職を持っていないような人と、休憩時間なのかタバコをふかす従業員がたむろし、何とも退廃的な空気が漂っていた。
それでも東急百貨店までは、まだ良かった。
東急の南側にあったプレイガイドを過ぎると、歩く人の数が減り、時おりラブホテルから出てきたばかりの妙なカップルとすれ違ったりしたものだった。
松涛は、自家用車を所有する人々の町で、決して渋谷駅から歩いたりする町ではなかったのだと気づいたのは、松涛に住んでしばらくしてからだった。
銭湯は、松涛と道一本挟んだ円山町にあった。
円山町には、いわゆる風俗業も多かった。
松涛とは、まるで違った雰囲気の所であった。
松涛に住む人には、銭湯が必要なかったのである。
その銭湯は、早い時間には出勤前の、遅い時間には勤めが終わったばかりの水商売風の入浴客も多かった。
夜遅くまで開いていて便利が良かったが、予備校に通う身。
崩れた化粧とはいえ、ケバケバしい女性と入り口で出会ったりすると、このまま別の人生に足を踏み入れ、
来年の志望校合格は水の泡になりそうな予感がした。
夕方の買い物も兼ねて、まだ明るい5時頃の銭湯を利用していた。
松涛に住んで、もう1ヶ月くらい通った頃か。
ある日、脱衣場で、男から声をかけられた。
何度か顔を見かけたような気がするが、話すのは初めてである。
濃い胸毛とは対照的に、肩や腰の肌が妙に青白かったことは鮮明に覚えている。
首には、派手なネックレスをしていたと思う。
「こんにちは… お兄さん、イイ体しているけれど、スポーツでもしていたの?」
見た目とは違う優しい言葉。
「 ……
…… 中学校の時、ちょこっと剣道を…」
湯船に浸かっていると、またその男が横に近づいてきた。
毛むくじゃらの太ももの毛が、私の太ももを撫でる。
くすぐられているようで、気色悪い。
そのうち足をくっつけてきた…
「お兄さん、イイモノ持ってるね。今度、ウチでバイトしない?」
湯船を覗くような仕草が、ぞぉ~んとする。
「いぇ… まだ予備校生ですから~」
たぶん、消入りそうな小さな声だったと思う。
でもすぐ立ち上がると、体を洗うこともなくそのまま脱衣場に向かった。
今でも時おり思い出しては、一体、何のアルバイトだったのだろう…?と思う。
経験だけでもすれば良かったかな…
何か惜しいことをしたような気がするのは、歳を重ねた証しなのか。
今では考えられないほど、あの頃は純情だった。
しかし、この日を境に、純情な田舎坊は、ちょっと離れた富ヶ谷の銭湯に行くことになったのである。
富ヶ谷の銭湯までは、山手通りを越えてけっこう歩く。
山手通りを越える陸橋を渡る時、東大の駒場キャンパスが見える。
明と暗。
洗面器を小脇に抱えた予備校生には、銭湯までの道のりは、遠く辛く感じたものだった。
なんで、松涛には銭湯がないんだろう?
何度もそう思って、松涛に間借りしたことを後悔したものだった。
もう、はるか昔の話である。
予備校生活は、結局9ヶ月で終わった。
松涛に住む原因となった、山本富士子さんの顔を見ることは、とうとう一度もなかった。
山本邸の大きな門が開き、
中から運転手だけの車を見たのが、たったの一度。
それでも、大女優と一緒に松涛に住んでいるんだ、という実感を持つにはこれで充分だったのだが。
平成になって、東急百貨店に勤める大学時代の友人を本店に訪ねた折、松涛を訪ねてみた。
懐かしかった。
でも、ずい分変貌して、よく立ち寄った古本屋も、あの銭湯も…
どこがどうだったか分からなかった。
間借りしていた古い木造の二階家があったあたりは、近代的なマンションが建っていた。
今度のガス爆発事故で、「渋谷区松涛の温泉施設」という言葉を何度も聞く。
「え~、いつの間にか松涛にも銭湯ができていたのか…」
と、感慨深く驚いたのは、世間広しと言えども私をおいて他にはおるまい。
しかし、それは銭湯ではなかった。
松涛に相応しい温泉施設。
地下1500mから汲み上げた天然の温泉を利用した、健康と美容を目的とした女性のための施設だったのである。
あらためて、35年の歳月を感じる。
今回の事故で、お亡くなりになった3人のご冥福をお祈りしたい。