♪ 山の淋しい 湖に
一人来たのも 悲しい心…
これは、高峰三枝子の唄う「湖畔の宿」。
別れた恋人を思う胸の痛みに耐えかねて、もらった恋文を焼き捨てる…
とまではなくとも、もともと湖畔の宿はロマンチックな所であろう。
島原半島にある雲仙温泉は、海抜1300mの高い所に位置する。
この雲仙温泉のはずれに、オシドリの池という湖がある。
これを知っている人は、かなりの通だと思う。
ホテル東洋館の別邸「東園」は、このオシドリの池の湖畔にある高級旅館である。
大浴場に浸かって大きな窓越しに湖面を眺めると、オシドリの池と一体化してしまう感じがする。
贅沢極まる湖畔の宿である。
11月になって稼業が忙しくなった。
長崎市内のマイナーな観光地を案内できる人…
というお客のリクエストに応えられるドライバーは、わが社にはそういない。
大型バスでしか長崎を観光したことのない人にとって、車1台しか通らない狭い道の坂道だらけの長崎は新しい発見である。
初めて訪れた地を巡ったような感激のまま、泊まりの雲仙温泉に着く。
宿は、オシドリの池とは離れた雲仙地獄に近い所。
その宿に近づくと、湯煙りに包まれ、温泉特有の硫黄の匂いもしてくる。
紅く色づき始めた玄関の紅葉がライトアップされ、お客様の旅情は最高潮に達する。
お客様の歓喜の声は、案内する者にとっても至福の瞬間である。
たいていはドライバーもお客様と同じホテルに泊まることが多い。
が、観光客でいっぱいのこの時季は、バスやタクシーの乗務員は別の宿に廻されることも度々ある。
今回もそうであった。
ホテルから指定された民宿に着く。
宿の前の駐車場で車内の清掃をしていると、主人らしき人が出てきて予約が入っていないという。
「田舎に泊まろう」というテレビ番組ではないが、今夜の宿が決まっていないというのは本当に心細い。
再びホテルに戻り、改めて指示された宿に着いて車の清掃を終えると、もう夜の帳が下り、すっかり暗くなっていた。
お客様を降ろしてからすでに2時間近く経っていた。
こういう宿を一人で切り盛りしている女将は、やたら元気がいい。
そして、明るい。
だからなのだろうか。
疲れも吹っ飛んでしまう。
バタバタと厨房から飛び出してくると、玄関先の無造作に散らかったスリッパを手早く片づけながら、
「運転手さん、お風呂? それとも、すぐ食事しますか?」
雲仙温泉のやわらかいお湯に、まずは手足を伸ばす。
飾りっ気のない浴場。
強化プラスチックでできた浴槽には、5、6人は入れるだろうか。
風情はないものの、一人には贅沢極まる。
湯気に曇った大きめの窓ガラスにお湯をかけて、外を眺める。
外はすっかり暗くなっていて、景色はよく判らない。
わずかに浴場の蛍光灯に照らし出されているのは、お湯が張られていないが露天風呂なのだろうか?
庭続きのようなので、池なのかもしれない…
いずれにしても、自然石の縁取りにセメントを張った素朴な造作は、民宿の主人の手造りなのだろうか…
仕事で、泊まっているのである。
翌日の運転にも、差し障りがある。
わが社の内規でも、10時間前の飲酒は禁止されている。
なのに、どうしてこういう宿の料理には、酒が美味いのだろう。
もちろん高級料理があるはずがない。
大衆食堂の定食を、ちょっとだけ贅沢にしたような料理。
しかも独りだけの夕食である。
救いは、くだんの元気で明るい女将である。
露天風呂は、お湯がもったいないから張らない…
ここら辺りのお湯は、沸かし湯なのだ…
と、飾りっ気のない言葉で、温泉を十分に堪能したばかりの泊り客に、手の内を明かす。
そうか、旅情はこうして感じるものなのだ。
施設や料理が贅沢三昧で、非日常的な高級感に満足する旅行もある。
しかし、見知らぬ土地で飾りっ気のない素朴な人柄に触れた時、人間の優しさを感じ、無性に人恋しい気持ちを感じる。
見知らぬ土地での不安が、その土地への馴染みに変わる時なのだ。
合理的な蛍光灯の明かりの下、大広間のテーブルに一人ずつ並べられた孤独な夕食。
それぞれの客に親しげに話す女将に、人情を感じる。
テーブルの傍に付きっきりでいるわけでなし。
手際よく料理を運ぶ合間の、そつのない簡単な会話。
フーテンの寅さんもこのひと時が好きで、日本全国を旅していたんだろうな…
などと思い馳せていると、酒が美味くないはずがない。
結局、風呂上がりの渇いた喉をビールで潤した後、芋焼酎を注文する。
「飲んだ分だけお金もらいますから…」
と、その気の利いた女将は、5合瓶を無造作に置いていった。
隣の席でやはり一人で食事をしていた男が、親しげに話しかけてくる。
どこから来たのか…
明日の行程は…
どこそこの土産物店は、チップをはずんでくれる…
空になった彼のコップに、その5合瓶から焼酎を注いでやる。
あ~あ。
これが仕事でなければ、ずっとこうやって見知らぬ男の他愛もない話や自慢話を聞きながら、ずっと夜更けまで飲み明かしててもいいのにな…
しかし、仕事で泊まっているのである。
早々に部屋に戻る。
1時間ちょっとの楽しい夕食のおかげで、軋んだ音のする廊下も、蛍光管の1本切れた部屋の暗さも気にならない。
ちょっと暗めの方が、明日の案内のための歴史の復習には、集中できてちょうどいい。
そして…、である。
6時に起きて、あの風呂に入った。
誰もいない浴場の曇った窓を大きく開け放って、驚いた。
手造り風の露天風呂の向こうには、オシドリの池が大きく広がっていたのである。
あらためて、飾りっ気のない浴場にたっぷりと浸かる。
浴面がそのままオシドリの池とつながって、大自然に抱かれたような錯覚に陥る。
お~、贅沢の極みである。
かつて誰と泊まったのだったか、東洋館別邸「東園」の大浴場。
大きなガラス越しのオシドリの池となんら変わらないではないか。
7時から早めの朝食。
慌ただしく器を並べる手を休めぬまま、女将は答えた。
「はい、それだけがウチの取り柄だから…
いちいちお客さまに言うのもおこがましいし…
気づいて喜んでいただければ、もうそれで充分…」
湖畔の宿はロマンチックなのである。
ロマンチックとは、慎み深いものでもある。
すべてをさらけ出し、すべてをあからさまにするより、さりげない美しさ。
湖畔で民宿を切り盛りしている女将は、ただ者ではなかった。