「また会ってねー」、「もちろん!お待ちしています」

これは、とある患者さんとのいつもの別れ際の挨拶です。もう、どのくらいでしょうか・・・10年近くになるでしょうか。

その方は、毎月外来にみえたときには相談室の医療ソーシャルワーカーを尋ね、近況や日々の暮らし、家族との悩みをお話されます。お話の内容はいつもだいたい同じなのですが、ひとしきり話すと「あーすっきりした」と言われた後、冒頭の「また会ってねー」と必ず付け加え、私の返事に笑顔でこたえ、病院を後にされるのです。

 

その方が相談室を尋ねるきっかけは、外来の精神科の医師に紹介されたことでした。

70代前半のその患者さんは、「アルツハイマー型認知症」の診断を受け、医療ソーシャルワーカーを尋ねてきました。最初は「ご家族から物忘れを指摘され、何度も同じことを尋ねると叱られる」というようなお話でした。それで、ご本人は少し家から出かけるようなサービスを利用したいと希望され、介護保険の申請から、デイサービスの利用までをお手伝いさせていただきました。そこから、その患者さんは外来のたびに医療ソーシャルワーカーに会いに来てくれるようになり、ご縁が始まりました。それはつい最近まで続いておりました・・・

 

アルツハイマー型認知症と診断されても、3年ほど前までは1人で外来にきていましたが、徐々に外来日や診療時間を間違えるようになり、混乱するようになって娘さんに付き添いをお願いすることになりました。娘さんが付き添うようになって、それまでの月に1回の外来日が2ヶ月に1回になりましたが、外来にみえると、いつも相談室を訪ね、「また会ってねー」といつもの挨拶は続いていました。

 

昨年、その方は施設に入所し、今は半年に1回の検査のときだけ外来にみえます。

そして、先日久しぶりに外来でその患者さんをお見かけし、声をかけました。しばらく私の顔をじっと見ています。横から娘さんが「わかる?」と声をかけます。その方は、「わかるよ。忘れるわけないじゃない」と小さな声でこたえます。でも、もう、それ以上、何かをお話されることはありませんでした。また、視線も、合うことがなかったのです。

 

玄関で別れ際に、その方に今日は私から「またお会いしましょう!」とお声をかけると、その方は一瞬、いつもの笑顔をみせてくれたように見えました。私は、「またお会いしましょう!」その背中にもう一度声をかけ、見送りました。それは、暖かい、春の日差しを感じた朝でした。

 

 

 

ヤム

 新年度がスタートしもうすぐ2ヶ月が経とうとしています。みなさんは順調にスタートを切っていますか?

私は介護改定の理解に苦しみながら、ケアマネさん達とアレコレ確認する日々に追われています(個人的には医療保険よりも介護保険の方が理解するのに難しさを感じます。)。これ以上話をしてしまうと愚痴になってしまいそうなのでここまで!

 

さて、本題です!

みなさんの今年度の目標はなんですか?または部署目標など、どのようなことを掲げていますか?

私は介護分野に身を転じて3年目になります。新年度の方針を立てるべく、ミーティングでスタッフの言葉を拾っていきました。あるスタッフから「利用者を感動させることができるといいね」との言葉が出ました。

“感動”か、すごい言葉(思い)だとビックリしました。現実的に考えるとハードルの高さを感じますよね。実際に他の職員から「実務がやっとのなかで感動なんて無理でしょ」という意見もでました。もちろんその意見もわかります。しかし、思い切って、『感動』という言葉をそのまま事業計画に盛り込みました。「感動の演出!」と。

 

「利用者(入居者)、そのご家族、そして彼らに携わる方々と感動を分かち合えるサービスを提供する」

ケアマネ、主治医、他のサービス事業所等、携わるみんなで感動を体験したい、そのようなメッセージを込めて説明会で発表しました。

 

その他にも、

・人(利用者やご家族だけでなく、職員同士や関連事業所)にも喜んでいただける

・人の役に立って「ありがとう」がたくさん溢れる事業所

・利用者やご家族が安心して生活できる場の提供

・利用者の素直な気持ちを応援する

・利用者やご家族の居場所となれる事業所

・したいことが実現できるお手伝いをする

・個別的な対応ができる能力と人間性を高める

・四季を感じさせたい

 

等々、職員と一緒になって、過去を振り返りながら未来を考えていく中で出た言葉たちです。

先ほどの「感動」をビジョンとし、上記の言葉を各項目に落とし込んで事業計画を作りました。正直、全部やれる自信はありません。きっと失敗することもあるでしょう。それでも、ひとつひとつを大切に。一人ひとりの利用者や家族と向き合って取り組んでいくことを楽しみにしていきたいなと思います。でも、後ろ向きの職員もいるのが現実もあって、どう前向きに取り組めるのか・・あれこれ考えても良いアイディアが浮かばない今日この頃です。

 

まぁ、まずは自分が楽しんで取り組んでいる姿を見せなきゃだよね!?勝手にそう思い込みながら、先に言ったケアマネさんとのアレコレをしながら眉間に皺が寄りそうなところを無理やりニコニコしています。

みなさんも忙しい日々ではあると思いますが、 “自らの心の底から湧いてくる想い”を言葉にして、掲げて、チャレンジしてみてください!

新人さんは、そのような思いや志を語れる仲間をつくってください。先輩たちはその若者や仲間の思いやチャレンジを温かく見守ってください。

 

 

 

 

はったらー。

私は、たまにミニシアターで上映予定を見ずに飛び込みで映画を見に行くことがあります。

数年前に、偶然この映画に出会いました。

当時、医療ソーシャルワーカーとして少し限界を感じていた時でもありました。

単なる退院調整だけでも完結する仕事。患者さんのためにという人当たりの良い雰囲気と巧みな言葉で、結局病院の思うような退院日、退院先の設定を行ってしまう仕事。そして、それで何も咎められることがない状況。ソーシャルワーカーは、本当はどの職種よりも悪性を有しているのではないかと・・・。

そんな時に、この映画に出会い、感動したのです。

こんなソーシャルワークをしたいなと、心底思いました。

もし、皆さんが、日々の業務に辟易として、ソーシャルワーカーとして何かを見失っていると感じることがあったなら、この映画の世界に入ってみませんか?

 

内容は実話です。そこで活躍しているソーシャルワーカーも実存します。

そして、戦う相手は国であり、守る対象は子供たちです。

 

 

 

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主演:エミリー・ワトソン

監督:ジム・ローチ

1986年のイギリスのノッティンガム。社会福祉士のマーガレットは、ある晩、シャーロットという女性から自分のルーツを調べてほしいと相談を受けた。オーストラリアからはるばる訪ねてきたというシャーロットは少女時代、ノッティンガムの児童養護施設にいたが、ある日、他の児童たちとともにオーストラリアに移送された。養子縁組ではないその移送に疑問を抱いたマーガレットが調査したところ、シャーロットと同じ扱いをうけた人々がオーストラリアにたくさんいることを知り、夫マーヴや上司の理解と協力の下、彼らの家族を探すことにする。しかし、彼女の活動は児童移民に深く関わっていた慈善団体や教会の立場を悪くするものであったことから、彼女は言われなき中傷や脅迫を受けることとなる。更に、被害者の悲惨な体験を聞き続け、彼らの気持ちに寄り添い過ぎたために、心的外傷後ストレス障害に陥ってしまう。それでも、マーガレットは夫に支えられ、そして彼女に救われた被害者たちの励ましを受け、粘り強く活動を続けて行く。(Wikipediaよりあらすじ抜粋)

 

 

 

 

通常の三倍