「スターになりたい」。大学野球を始めるにあたって考えていたことです。決して有名な選手ではなかったし、実力も大学野球をする人間としては劣っていたと自覚しています。でも、一度くらいはスポットライトを浴びてみたい、中心選手としてチームに貢献できる人になりたい、そんな、ちょっぴりエゴの入った野望をひそかに抱いて、九州大学硬式野球部に入部しました。結果的には、高校時代と同じけがを再発させてしまいました。その時に、もう1年間リハビリに励むとか、野手としての活路を探すとかすればよかったんですが、残念ながら、当時は張りつめていた線がプッツンと切れてしまったような感じで、現役選手としてやっていくことを諦めました。

 

 現役時代は、けがが続いて思うような結果を出せないことがすごく恥ずかしかったです。ただ、今思えばただプライドが高かっただけのような気もします。もっと自分の現状のレベルを認めてあげればよかったなと。球が遅くても球質が面白い事、それを武器に、焦ることなく積み重ねていけば怪我も避けられたろうに、と感じます。当時は球速の遅さがコンプレックスで、速い球を投げられるようにとリハビリ中に焦ってしまいました。ただ、これは教訓だったのだと今は思えるのです。どんなに下手だろうと、自分自身の現状のレベルを包み隠さず向き合っていけば正しい練習の積み重ねができると思うので、下手でも堂々としていればええんだなと思います。これは将来の仕事に活かしたいと思います。

 

 ある意味、けがをして野球から逃げる道を選んだんですが、今振り返るとそれはそれでよかったこともあった気がします。一番の気づきは、野球と距離をおいてから頑固じゃなくなったこと?です。表現が正しいのか分からないのですが、現役時代は、自分の信じる練習方法以外は受け付けないような、マイルールをいっぱい作っていて、どこかがんじがらめになっていた自分がいました。選手を退いてからはむしろ、いろんな選手の練習方法やトレーニング方法を聞くのが楽しくなっていて、野球から距離をとってからの方が人の意見を素直に聞けるようになりました。現役時代の自分、どんなやな奴やねんって感じですが(笑)。同じ投手陣のトレーニングの話を聞くのはすごく面白かったし、意外と野手の打撃理論はワクワクして聞くようになっていました。

 

 

 実は入学当初、もう一つ目標がありました。それは“谷村謙介”を、有名な野球ゲームキャラのパワプロクンに見立てて、自分自身を自分自身で選手育成する気分で練習に取り組もう、というものです。ずばり「パワプロクン、大学球児編」。部活に久々に顔を出したとき、初めて会った後輩に「パワプロクンの人」で認知されていてビビったので言及しておきます。パワプロクンをやったことがある方は分かるかもしれませんが、パワプロクンというゲームには、選手を育成していくサクセスというモードがありまして、物語を進めながら野球選手の能力値を上げ、育てていくというモノです。私、小学生の頃、DSのこれにドはまりしていました。高校球児編もあったし社会人野球のやつもあったし、草野球チームのやつもあったし、14個ぐらいシリーズがあったんです。このゲームの肝は、練習させすぎると体力ゲージが0になってすさまじいけがをするという事。おそらく現役時の私は、これをやってしまったんですね。そう、後輩の皆さんに伝えられるのは、パワプロクンを見習うという事かもしれません。試しに野球と休息だけをし続けた選手と、練習と街へのうろつきと他にもいろいろイベントをこなした選手と、どちらの能力値が高いか、見比べてみてください。あのゲームは人生の縮図です。実況パワプロの方じゃなくてパワプロクンポケットの方です。名作です。

 

 

 選手を退いてからも、本当に自由にやらせていただきました。私がたまに顔を出すと暖かく迎えてくれるチームメイトがいたのは本当に心強かったです。この人たちは懐が大きいなと強く思いました。好きな時にグラウンドに来て手伝ってくれればそれでいいという言葉は本当にありがたかったです。ちなみにキャンプTシャツの一言、結構気に入っていまして、1年次「ただの変態」、2年次「山田のサンドバック」、3年次「アナウンサー」と変化していきました。徐々に成長できたのかなと、思っています。毎年愛のある言葉を選んでくれた同期に感謝したいです。最後に、タイトルにもありますが「逃げるが恥だが役に立つ」、この言葉、戦う場所を選べ、という意味だそうですね。私は野球という場から逃げた代わりに幸いにもグラウンドの外にやりたいことを見つけました。あ、この方向性、楽しいかも、と思ったらそこに突き進んでみるのもありかもと思えた4年間でした。もちろん後悔もないわけではないですが、自分の選択を全肯定して終わりたいと思います!