皆さん、こんにちは。工学部4年の峯康太です。

 

 僕は格言めいたこととか、真面目な話はできないですが、長く、薄く、適当に書こうと思うので、そのつもりで読んでいただけると嬉しいです。

 野球部を引退してからというもの、野球もたいした勉強もせず、強制力から解放された日々を満喫しています。高校の頃、カフェで読書できる男になろうと友達と誓って以来、カッコつけて形から入った趣味は、今では本を読むために原付を使わず、電車通学をするまでになりました。週の半分くらい、夕方に研究室に行き、夜に帰り、Mリーグを見て、KADOKAWAサクラナイツを応援するといった凪のような日々です。

 保育園の年中からソフトボールチームに入って17、8年間野球から離れることがなかったので、やめるとなると変な感じです。おそらくみんなより野球歴は長いですが、特別野球が好きなわけではなく、プロ野球中継よりもバラエティーを優先して生きてきました。ここまで続けてこれたのは、野球をやめて新しいことを始める勇気なかったからだと思っています。大学の野球部に入ったのも、昔からお世話になってた瞬くんと泰斗くんと修猷館の先輩方がたくさんいた、というのもありますが、他のサークルに入っても楽しめなさそうだなっていう消極的な理由も少しあります。入部当初はバイトをたくさんして、友達と遊んで、勉強はほどほどにして、そんな、いわゆる大学生をうらやましく思っていました。だからこそ、大学生になってまで部活に入るなら楽しく野球ができるように、それだけを考えて頑張りました。そのせいで本気に見えなかったり、楽観的すぎたり、選手の中で失礼に思った人がいたかもしれません。ごめんなさい。特にリーダーの方々には迷惑をかけたと思います。唯一の味方であった新阜君にはたくさん助けられました。初めてのリーダー話し合いの後、バスの一駅分、散歩に付き合ってくれてありがとう。おかげで野球が嫌いにならずに済みました。

 終わってみると、守備の練習ばかりして、ジムにも通わず、サングラスも買わず、うまくいかなくてもあまり気にせず、自分のポリシーを守って最後まで楽しく野球ができたと思います。これまでの野球人生で、全く活躍してこなかった自分が最後のシーズンはたくさんエラーして、たくさんヒットを打って、これまで積み重ねて来たものは何だったのかと思いつつも、ベストナインまでいただいて、本当に人生何があるかわからないなって感じです。最後のシーズン以降、たくさんちやほやしてもらってとても幸せでした。僕は少し面倒くさいところがあって、人に対してそっけなくて、自分から話しかけないのに話しかけられたくて、目立ちたくないけど褒められたくて、そんな自分なのですごくいい思いをさせてもらいました。こんなことになるなら、もっと野球をやってることをアピールしとけばよかったなって少しだけ自分の性格を悔やみました。知らなかった人や褒め足りない人、まだ間に合います。

 

 そんなこんなで普通の大学生活にはない経験がたくさんできて、野球部に入ってよかったです。心残りがあるとすれば、ホームランが打てなかったことと、新阜君と一緒に守れなかったことと、轡水君との置きティー飛距離対決が引き分けで終わったことと、学生コーチの尾山君にベンチプレスが敵わなかったことと、後輩にたくさん奢ってあげられなかったことと、マネージャーと仲良くなれなかったことと、特に高校の同級生でもある松本葵さんに最後まで緊張したことと、白野会のオーディションに全然受からないことと、太田君が全くバスケに誘ってくれないことと、公務員試験に落ちたことくらいです。できれば、あまり思いつかずにいい大学生活でしたって締めたかったのですが。

 

 一つを除いて内輪の話と冗談はさておき、書きたいことは全部書いたのでこの辺で終わりにします。人の名前が多めで分からないことばかりの人もいたかもしれませんが、最後まで読んでいただきありがとうございました。残りの数人もいいこと書いていると思うのでぜひ読んでください。

 

次は、

我が身を顧みず卓越した運転技術でたくさんの人やものを運んできた、九大の運び屋こと渡君です。

それでは、張り切ってどうぞ!

 

P.S. 僕の友達のみなさんへ

これまで仲良くしてくれてありがとうございます。今後、僕は福岡にいるか分からないけど、残りの大学生活とその先も仲良くしてください。誘ってくれたら喜んで、行けたら行きます。

本当に。コロナと部活に吸い取られた大学生活を取り返します。