【祈りと感謝】 落語の富久より | 太陽と月の結婚

【祈りと感謝】 落語の富久より




いつもコラムを抜粋してくださっている和暦の愛用者、佐藤しんじさんのシェアです。


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和暦の正月は、まだひと月ほど先ですが、世間では、いよいよ2023年の年末です。今年もいろいろとありましたが、いろいろあるのが人生、悲しいことも嬉しいことも、すべては人生の糧となります。

生きてるだけで、もうけもの

という言葉がありますが、今ここで、生かされていることに、 感謝できる心でありたいです。
 
歳末・お正月を迎えると思い出す噺があります。落語の人情物にくくられる落語です。

いつの世も最後に残るのは他人(ひと)を思いやる気持ち、感謝の気持ちでは ないでしょうか。

時代が変わる節目の時とも言われています。けれども、何があろうとも無なくせない大切なものが存在します。

どうぞ良い歳をお迎えください。

 
【祈りと感謝】

実話を元に作られたという 落語の「富久(とみきゅう)」は、主人公の久蔵が 溜まった借金を返して正月を越そうと、富くじを買うお話。

久蔵は長屋が火事になって焼き出された後、神棚に奉っておいた富くじが抽選で大当たりになったことを知る。

腰を抜かして喜ぶのだが、肝心の当たり札を焼失しては賞金はもらえず、すっかり意気消沈してしまう。

ところが後日、近所の棟梁が火事の中、神棚だけはと持ち出してくれたことを知らされ、無事、大金を手に入れる。

一間限りの貧しい住まいにも神棚を祀り、朝夕に礼拝を欠かさない暮らしぶりが伝わってくる。

「お天道様に申し訳がたたない」あるいは「罰が当たる」といった具合に、昔の人は心のどこかに自分よりも大きな、畏敬すべき「何か」を意識することで、自らの わがままを律し、心の平安、ひいては社会の安定を保っていた。

神仏のさまざまな教えは、人間のわがままを戒めるルールとして 暮らしのなかで尊重され、社会の潤滑油となっていたのだろう。

昔の人々は、神仏に私的な願を掛けたときは、成就すれば丁重にお礼参りを行い、たとえ叶わずとも恨むことはなかった。  

そして季節ごとに行われる祭では五穀豊穣や無病息災といったコミュニティ全体の幸福を祈り、授かった恵みに対しては感謝の行事が盛大に行われ、祈りと感謝のバランスを崩さなかった。

神仏の違いを超えて、人々は「教え」を守り、「祈り」と「感謝」を繰り返しながら生きてきた。

神社仏閣が初詣客で混み合うのはいつの時代も変わらぬ光景だが、ついお願い事ばかりで、感謝の祈りは忘れがちなようである。

特別熱心な信者や宗教家でなくとも、時には敬虔な気持ちで 祈りや感謝をささげる時間を大切にしたい。

「富久」の最後のくだり。「春から縁起が良いじゃねぇか。そんな大金どうする」と棟梁の尋ねに、久蔵、「大神宮さまの おかげでございます。ご町内の御払いをします」

( LUNAWORKS『和暦日々是好日』手帳 2006年版  冬のコラムより)

古今亭志ん朝〈 富久  とみきゅう 〉
https://youtu.be/S-aysPK4nRk

落語の『富久』には噺家などにより、いろんなバージョンがあります。それだけ人気の噺だったんですね。
https://rakugo.xyz/koten-vol38/

古今亭志ん朝〈 富久  とみきゅう 〉
https://youtu.be/S-aysPK4nRk

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