北キプロスの首都「LEFKOSA 」であり
南キプロス(🇨🇾キプロス共和国)の首都でもあり
中央に🇺🇳国連の緩衝地帯を挟み、分断されていることは、北キプロス・トルコ共和国の紹介でも書きました。

レフコシアは、あまり名所は巡ってなくて💦、
(と言うほど広くないけど)
旧市街の真ん中の道を歩き、後は適当に目につく建物へ道を辿りました。

アタチュルクメイダス(広場)の🗼オベリスク「ヴェネチアの塔」↓
建てられた時は、トップにはヴェネチアの獅子が飾られていたらしいですが🦁
トルコ人がそれを撤去し
イギリス植民地時代に地球儀を飾ったらしい🌏


ミナレットを見付け、それを目指して行ったらありました。↓
【🕌Selimiye Camii】(Saint Sohia Cathedral )
1209年に始まり、1325年に完成した建造物🏰
入口のファサードから分かるように↓、元々はフレンチゴシックのキリスト教会⛪だったのが
1570年の☪️オスマン占領でモスクへ🕌
イスタンブールの☪️アヤソフィアも✝️ギリシャ正教の建物をモスク🕌に改造したものだけど、
➕正教会は半円のドームの建物で、当時何も知らないで旅行に行った私は、🕍キリストのフレスコ画を見るまで全然違和感なく🕌モスクとして見てました(笑)

でもここは、形が十字架なので長方形。
中を見ると🇸🇦メッカに向かうミフラーブも違和感ある場所にあったりします(笑)↓

でも、異教の聖地を破壊することなく、上手くリノベーション♻️するところが、王冠1素晴らしい拍手
こうして数百年経っても、世界中からの後世に披露することが出来るのだから✨

🇪🇸🇵🇹イベリア半島も、数百年のアラブ文化を上手く醸成し、魅力的な文化の国になったわけだし💃
ホントに国のトップによって🚩、その時代だけでなく、長~く国民に影響を与えると思うと、歴史に名を残す人って凄い⤴️
🛐お祈り前の、足洗場👣
ステンドグラスは、🕍教会時代?
観光客もたくさん👲👱👳
🗣️説教壇もあります↓
↓この幾何学模様はモスクにしてから??🕌

でも私が一番気になったのが、実は外を回って見付けたここ↓ハッ
両脇の絵の細長い木は🌲もしかして細杉?
キプロス来て、街路樹で多く見掛け(写真はみんなピンボケ📷💦)、

もしかしてこれが🇨🇾CYPRUS (英)の語源になった、👸古代ギリシャ語の🌲糸杉 (kyparissos) ?

と気になってたのですが(また、古代からの産業だった銅(Chalkos) 説も有り)
ここの絵を見て納得🌲🌲🌲🌲

🕍教会時代か、🕌モスクになってからかは分かりませんが、こうして残っているの見て、なんだか木へのリスペクトを感じました✨🌲✨


【Buyuk Han】(The Great Inn)🐫
1572年にキプロス総督ムザッフェル・パシャによって建てられ、ケルヴァンサライ(隊商宿)として長い間使われ、今はカフェやバザール?として使われています。
もう夕方で🌇日か傾いてて更に雰囲気あります



そうそう、狭い道でインコ屋さん?を発見セキセイインコ黃セキセイインコ青オカメインコ
店の前に、7、8個のケージが飾られていて
✈️機内で読んだ📗「インコは戻ってきたか」を思いだしました。
文中🐦インコは、ほんのちょーっと出てきただけでしたがタラー内容は面白かったです。
前半は、何度も一人で吹き出してしまうシーンもあったり😚

そう言えば、ギルネのホテル🏨の廊下にあった絵も↓、たまたまなのかインコでした🐦

あと物語の舞台が2000年頃で、後半になるとまだ南北が緊張していて、一人だったら北キプロスに行くのが躊躇しそうな内容💦
でも私は「ホーラ」よりずっと面白かったです。
やはり恋愛中心より、社会背景が上手く描かれている方が面白い📗

もう一ヶ所、この📖小説が頭をよぎったところがニコシアのこのお店↓

。。。
🇨🇾キプロスの表の産業は観光だけど、
裏の一番の産業は密輸札束銃
それに加担しているのがロシアンマフィア😎🇷🇺

ニコシアの💰毛皮屋を隠れ蓑に、南国🌴キプロスでは必要のない毛皮屋で、ロシアからのツアー観光客を相手に毛皮を売り
。。。

みたいな事が書かれていたので、たまたまニコシアのランチを食べたお店の向かいに、
🇷🇺ロシア語が一番上に大きく書かれた毛皮屋さんを見て、「ポーンここ?!」と(フィクションだけど💦)思ってしまった😅

昔🇬🇷アテネに行った時も、オモニア広場近くのホテル🏨に一人で泊まったとき
「この周辺は、🇷🇺ロシアンマフィアが多いので、夜の一人歩きは注意を⚠️」みたいなことが書いてあり、
実際、ホテル🏨周辺を歩いてみたら、ロシア語表記の看板が多く、一人旅だった私はビビったことを思い出しました(笑)