生活保護の辞退届の話 | kyupinの日記 気が向けば更新

生活保護の辞退届の話

患者さんの精神疾患が重く就労ができない場合、比較的生活保護は受給しやすい。しかしその患者さんの資産の状況によるので、精神疾患単一の要件で決まるものではない。

 

バブル当時、夫婦で精神疾患で働けないが、5000万の価値がある自宅がある夫婦でさえ生活保護を受給できていた。その理由は、その田舎で広大な自宅をすぐに売却できるものではないからである。他の理由もあったかもしれないが、おそらくすぐに使えるような現金に近い資産がなかったからと思われる。ここで現金に近い資産とは生命保険や車などである。

 

例えば農業をしている人が統合失調症になり長く療養するようなケースでは、役場はすぐに農地を売れとは言わない。その理由は農地を売ってしまったら、農業を生業とする本人が復帰できないからである。このようなこともあり、当時、生活保護の受給要件は全く資産がないことが必須ではないようであった。

 

今回の話は、ずっと自営業で生活できていて普通に働いていたのに、精神疾患を患い仕事ができなくなった患者さんの話である。

 

その人は重い身体表現性障害(疼痛性障害)を患い仕事ができなくなった。初診した頃、ショップはまだ残っていたが生活のために売却し、やがて生活保護を受給するようになった。

 

疼痛性障害は外傷や手術も契機になりうる。手術は正常にミスなく終了したとしても疼痛性障害のトリガーを引くことはあると思われる。その場合、手術医に責任はなく、その人がその疾患に親和性があったと考える他はない。

 

もしほぼ必要がない手術を、主治医が診療報酬目当てで勧めたとしたら、道義的な責任はあると思われる。しかし手術を受けると決断し書類にサインしたのは本人なので、これを裁判で戦っても勝つことは難しい。その大きな理由の1つは、手術と疼痛性障害は必然の結果ではないからである。(ある種の特異体質)

 

その疼痛性障害に至った人は上に書いたように手術医にミスがないようなものではなかった。手術中に体内に器具を残してしまうミスが稀にあるが、それが疼痛性障害の原因になることはあり得る話である。

 

厳密に言えば、体内にハサミを残して痛いのなら、もはや疼痛性障害とは言わない。ハサミを体内から取り出しても著しい状態にそぐわない疼痛が遷延したとしたら、疼痛性障害と言っても良いと思われる。(この人はそのような大きな物が体内に残されたわけではなかった)

 

このブログでは疼痛性障害は実体がないので、自然治癒もあるし、将来完治する確率もそこそこ高いといった記事が出て来る。あくまで脳の問題が大きいのである。

 

この患者さんはそれに対して局所に多少は問題が残っているとは言えた。とはいえ、その組織損傷の規模と疼痛には関係的に全くそぐわないので、これも疼痛性障害と思われたのである。

 

このような患者さんが長期間生活保護になると、役場の福祉課(担当者)がうるさい。その理由は、なるだけ障害年金にしてもらい受給する人や金額を減らしたいからである。(同じように公的機関がお金を出すわけだが窓口が違う。)

 

しかし精神科医としては、本質的に実体がないものを障害年金にさせることなど到底できない。そもそも疼痛性障害は、統合失調症でも双極性障害でもなく、昔風に言えば重い神経症である。(ICD10ではF4)

 

福祉の担当者には、患者さんは、いわゆる障害年金に相当する症状ではない上、症状が固定していないと言う理由でいつも突っぱねていた。

 

そして10年くらい年月が流れた。その患者さんは疼痛性障害はほぼ問題がなくなくなり、遂に復活したのである。彼は役場に生活保護の辞退届を出し、晴れて生活保護は終了したのであった。

 

現在の月収は30万円くらいらしい(自営業)。さすが、元経営者だけに働くときの活力が半端ない。

 

このような患者さんが生涯、障害年金を受給し続けることと、税金だけでなく社会保険料や国民年金を納められることは、日本の財政にとっても大差である。

 

障害年金に比べ生活保護の良い点があるとすれば、潜在的にこの患者さんのように将来生活保護を辞退して普通に働くビジョンがあることだと思う。障害年金は真に重い人たちは受給してしかるべきだが、そうでない人は既得権のようになっているのが宜しくない。

 

その患者さんが生活保護を返上して働くようになった時、周囲のコミュニティに衝撃が走った。ある生活保護の女性患者さんは、「私があの人のように働けないことがとても恥ずかしい」と語ったのである。

 

しかし、精神疾患が全く違うので、彼女が働けないことで恥ずかしがるのはかなり違う話である。

 

その人が将来、社会復帰して元気に働けるかどうかは、長く診ているとなんとなく見通しがつくものである。