
おみくじ
年明けに散髪に言った時、おみくじの話になった。いつも刈ってくれる青年の母親はおみくじの結果をとても気にし、気に入らないともう一度引くと言うのである。
おそらく、同じ日に複数回引くのは良くないと思う。タロットなどもそのように言われているし。しかし同じ日に何度も引くような人は、結果に過剰に支配されないような気もするし、ある意味、健康的な部分が大きいような気がする。
僕は子供の頃は神社に行くと必ずおみくじを引いていたが、ある時期から積極的には引かなくなった。今はむしろ引かないようにしている。しかし嫁さんが引けと言うため、仕方なく引くこともある。
極端に悪い結果はほとんど記憶がない。僕はたいてい「吉」ファミリーの結果が多い。そもそも神社のおみくじには「吉」ファミリーと僅かな「凶」ファミリーしかないので、小凶でも引いたら大変な確率である。過去ログには「よく小凶を引く人」という記事がある。
その日の散髪屋さんの話では、今年初詣に行くと「このおみくじには凶が入っています」という表示があったという。凶を引くのが嫌なら、最初から引かない方が良い。僕がおみくじを引かない理由はそれも一部ある。
仮におみくじが近未来を予測するかもしれないとしたら、そのようなことはわからない方が良い。
amebaTVのmリーグ(プロ麻雀のチーム対抗戦)を見ていると、たまにお参りに行ったとか、おみくじを引いた話が出てくる。勝負事には運不運が付きものなので、お参りに行く気持ちは理解できる。
しかし科学的に言えば、いくら頑張っても次に引く牌を変えることなどできない。
不思議なことに、同じ麻雀プロなのに各チームのお参りやおみくじに対するスタンスが異なる。デジタルを売りにするUnextパイレーツは基本、そのようなオカルトは排除している(はずである)。チームリーダーの小林剛選手は全く気にしないらしい。しかし彼以外の選手はいくらか影響を受けているように見える。Unextパイレーツの真逆が風林火山だと思う。EX風林火山の控室にはなんとお参りできるスペースがある。
オカルトバスターを標榜している赤坂ドリブンズは意外に縁起にこだわるところがある。実は真にデジタルではないのだろう。
話は変わるが、精神科では「縁起恐怖」のような病態がある。縁起にこだわるあまり、日常生活が著しく制限されている状態である。この精神症状の本質は強迫性障害であろう。
日本人が縁起の話をするのは普通にあるが、そのことが著しく日常生活に影響する状況は精神疾患と言ってよいのである。しかしこのタイプは、わりあい精神医療にかからない人が多いと思われる。
強迫性障害が神経症のスペースにあるのは、その縁起の起承転結が比較的理解できるからである。少なくとも、多少は奇妙でも極端に荒唐無稽ではない。
今日の記事の最初に、「同じ日に何度も引くような人は、ある意味、健康的な部分が大きい」と記載しているのは、悪い縁起を自らうまく処理しているように見えるからだと思う。
結局、おみくじやそれを引くことを僕は否定まではしない。それは日常の1つのエンターテインメントだから。
個人的には雑誌や新聞の「今月の占い」とかも含め、どちらかというと醒めた目で見ていると言ったスタンスである。
過去ログに運命は最初から決まっているわけではない(そんな風に見えない)という記事がある。
人生には大きなバイオリズムがあり、良い時期と悪い時期を繰り返している。そのウェーブの大きさは個人差があり、悪い時期にどのような生活を送っていたか、あるいはどのような対処をしていたかにより、次の悪い時期の内容が変わる、といったものだったと思う。
上の文章には運命と言いつつ、バイオリズムへの本人の積極的な関わりに言及している。それに対し、「おみくじを引くこと」はそのような関わり方とは異なり、消極的過ぎるのだと思う。