ジグソーパズルの空いたピースが埋まる | kyupinの日記 気が向けば更新

ジグソーパズルの空いたピースが埋まる

2000年~2005年頃、今から20年くらい前の話。精神科の診療をしていて疑問に思っていたこと。

 

当時でも精神科で長く診療していて診断が決まらないままの人たちがいた。彼らの多くは既に自分の手を離れた人たちで、例えば大学病院の病棟にいた患者さん、アルバイト先の患者さん、過去に1~2年在籍していた中核病院の患者さんたちである。

 

僕はこんな長く精神科をやっているのに、彼らは今も解決しないままじゃないか!

 

例えるなら「ジグソーパズルの空いたピース」だったのである。この話は一般の人たちにはイメージしにくいのではないかと思う。

 

このような曖昧な人たちは、大学病院時代から既に意識されていて、例えば以下のようなやりとりがあった。相手はあの1行しかカルテに書かない精神科医である。

 

kyupin>あの青年は今一つピンと来ない患者さんですが、あのニッコリはないですよね。(説明:あのにこやかな笑顔は統合失調症ではありえないという意味)

 

1行医師>彼は教授は統合失調症とは診断されなかったよ。(僕が入局する前の症例検討会)

 

kyupin>では何なのでしょうか?

 

1行医師>(突然笑い出し)統合失調症じゃないということで充分だろう。

 

という意味不明の会話である。なお、この青年以外にもう1名女性がいた。

 

kyupin>あの女の子は幻聴とかずっとあるみたいですが、あの爽やかな顔つきやあの笑顔を見ると、統合失調症っぽく見えないですよね。

 

1行医師>あの子は軽い知的発達障害があるのであのように見えるのだと思う。知的発達障害には知的発達障害固有の対人接触性があり、その次元で統合失調症かどうか診断する。だから知的障害でも統合失調症はありうる。

 

と言ったこれまた意味不明の会話である。彼らは空いたピースのまま長く2005年頃まで解決しなかった。この話は精神科医がいかに診断を重視しているかわかる。病状が良くなるかどうかは臨床的なもので、良くなったからと言って「わからないまま」と言うのは咀嚼されず心に残るのである。

 

しかし、2005~2010年頃からそのあたりが整理されるようになった。わからない人たちがあまり出てこなくなったのである。

 

過去の彼らが実は広汎性発達障害だったわけでは決してない。

 

それでもなお広汎性発達障害の概念は重要である。例えばこのような経過がある。ある女性患者は軽い亜昏迷状態で初診している。「軽い亜昏迷」って何なの?と自問自答したいが、あるいは困惑状態と呼べるかもしれない。彼女は亜昏迷なのに入院しないで済む状態であった。

 

彼女は活発に幻聴があるようだが言語化できないでいた。

 

しかしひとめ統合失調症ではないのである。彼女は当初、ジプレキサで急速に落ち着き、1度も入院したことがない。ジプレキサで全く太らず、副作用的にも問題がなかった。用量は5㎎であった。彼女は亜昏迷の時期を除き就労は続けていた。海外にも渡航したことがある。

 

その2年後くらいに服薬しているのに仕事上のストレスのためか再び亜昏迷に至った。この時も、やはり統合失調症には見えなかったのである。またこの増悪が改善後もプレコックス感を始め、何らかの精神病の痕跡は残らなかったのである。今の内服薬はレキサルティ0.5㎎だけである(単剤)。なぜ変更したのか記憶にない。

 

ある日、彼女の兄弟を自分が診ていることに気付いた。これは精神科的にはある意味酷い話だが、お互いに全くそのことを話さなかったことが大きな理由である(話したがらなかった)。彼女は入院歴がなく深く家族歴を聴いていなかった。僕は本人が言いたがらないことを聴かない方針なのもある。

 

その兄弟は全く異なる病態で、彼女の同胞は明確にASD+ADHDだったのである。

 

このようなことから、彼女は広汎性発達障害とは異なる「脳の器質性由来の挿間性精神病」であることが十分に疑わしい。つまり同じ器質性疾患でも脳の障害の座が異なるのであろう。

 

だから、広汎性発達障害でもなく、統合失調症でもないのである。

 

今なお、精神科では家族歴が極めて重要なのが良くわかる話だと思う。

 

自分の中で、ジグソーパズルの空いたピースが埋まってきているのである。

 

参考

精神科医のカルテ

激しい幻聴のある強迫神経症