神田橋條治先生のことなど | kyupinの日記 気が向けば更新

神田橋條治先生のことなど

時々、病棟や外来の看護師さんから紹介状の文章が上手いと言われる。「なぜあんな風に書けるんですか?」とか。これはたぶん医学的内容ではなく、診ていただく医師への配慮などを指しているのではないかと。その理由は専門ではない医師への紹介状も上手いと言われることがあるからである。

 

ある時、鹿児島に転居する患者さんの紹介状を書いた。転居する病院はわからないので紹介病院は無記名にした。その患者さんは診断に迷う患者さんだったこともあり、診断理由まで記載したため3ページ半ほどになった。

 

なんと、その患者さんは神田橋先生にかかったと言うのである。当時、神田橋先生が鹿児島の病院で診療していることなど知らなかった。神田橋先生の診察には大勢のギャラリーがおり、彼らの前で紹介状の内容が素晴らしいととても誉めてくれたと言う。「こんな医師は鹿児島にはいないと」(鹿児島の精神科医の方には失礼な内容ですいません。)

 

しかし、そのことを知ったのは紹介状を書いた5年後くらいだった。偶然その家族に再会した際に聴いたからである。その家族の話では、ひょっとしたら転院は間違いだったのではないかと思ったと言う。(紹介したのは今からもう15年以上前の話)

 

いったいどんな風に書いたかも気になり、パソコンで紹介状を調べてみた。ところが、思ったより平凡な内容だったので驚いた。普通、診断の根拠など書かないが、その患者さんに関しては、診断に迷うと思われたので記載していた。そこだけがいつもとは異なっていた。

 

なお、神田橋先生に受診あるいは入院加療したことのある患者さんを持ったことが何度かあり、ある患者さんの話では、神田橋先生の診察にはギャラリーが5名くらいいるという。ただし、診察中ギャラリーがいると困ると思う人はもちろん断れる。その患者さんの話では、神田橋先生は当時、週に3日ほど診察されていたようである。(神田橋先生も高齢なので、遠方から殺到して困らせないように。今は体調不良で予定変更し診察をしない日もあるとのこと)

 

これを聴いて、さぞかし神田橋先生もプレッシャーがかかることだろうと思った。僕なら到底耐えられない。(あまりに診察がつまらないので)

 

僕の患者さんだが、神田橋先生にかかったことのある人たちは自分が診療し始めて以降、100%の人が以前より改善している。しかし治療が難しい人たちが相対的に多いので、それぞれ改善の程度は異なっている。

 

なぜ遠方からそんな風に僕に受診するかだが、読者の方は「神田橋先生にまでかかる人は必死に見つけて来る」と思うかもしれないが、実は偶然に近い。

 

ただ、この偶然は一般的な偶然とは異なり、たぶん鹿児島まで神田橋先生を受診するために行くような人は、偶然、僕まで行きつけることもあるのである。今ではそんな風に理解している。

 

ごく最近、精神科以外のドクターから「神田橋先生」とはいかなる医師か問われたことがあった。その時の僕のアンサーは、

 

「精神科業界、特に精神療法の分野ではスーパースターです。カリスマ脳外科医とかいるでしょう。あんな感じです。実際に神田橋先生に会い話したことが1度だけありますが、その時の感想はカリスマというより、魔法使いといった感じでした。」

 

その答えで妙に納得されたのである。

 

僕は、神田橋先生が明らかに無能と思える大量を使っている患者さん(とはいえ添付文書の用量の範囲内)や、使うべき人にたいして使っていないケースを何度も診たので、精神療法はともかく、薬物療法に関しては薬物の理解も含め、傑出しているとまで言えないと考えている。(結構、真剣に言っている)

 

自宅が鹿児島市内の人で神田橋先生の治療を受けていた人で、単身赴任で僕に受診した人がいた。彼が数か月後、帰省した時、あまりの変わりように奥さんが泣いたと言う(このケースが特に治療が無能と思えた患者さん。神田橋先生にはあまりに策がなかった)その後、その家族はうちの病院の近くに転居されている。

 

自分の患者さんではないが、オーリングで薬を選ばれて処方され、中毒疹が出たと言う。これはむしろ微笑ましいエピソードである。

 

神田橋先生!

あの人はいったいなんなんだ!

 

と思う。あと、オーリングで選択された薬で中毒疹が出て納得できている患者さんも凄いと思う。

 

この話は無能を明らかに通り過ぎているが、「オーリングでは必ずしも中毒疹を避けられない」という点で勉強になった。というのは、魔法使いがオーリングして選択すれば、中毒疹も起こらないと思うからである。

 

神田橋先生を受診した患者さんの話を総合すると、正解に向かう試行錯誤が圧倒的に少ない。最終的に不十分な状態なまま手をこまねいているか、薬をそのままにして実質的に放置している。これは神田橋先生がお年寄りだからではなくセンスの問題である。なぜなら、薬をどうこうするのは年齢は関係なく、また体力も必要ないからである。

 

同時に感じたことは、ほとんどの精神疾患の治療は、薬物療法のパフォーマンスは精神療法のそれを上回ることである。

 

実際、てんかん治療は当然として、2大精神病、統合失調症、双極性障害は極めて薬物療法のウエートが高い疾患群であるし、不安障害や社会不安障害などの神経症も現代社会では薬物療法で治療されることが多い。

 

てんかん発作を精神療法で止めるなんて無理な話だし、統合失調症についても、幻聴や妄想を精神療法で消失させたり、長期的な荒廃への流れを止めることは難しい。

 

昔、統合失調症には精神療法はさほど効果がないとされて、精神療法の診療報酬が取り消しになろうとしたほどである。しかし例えば日常の生活指導的なものや家族の本人への接し方などの指導に時間を取られることも多くレセプト的に残されたのである。

 

最近、同じような理由で、「てんかん」にも精神療法が取れるようになった。

 

(この記事は長い間10年間以上ボツ原稿でしたが、最近のことも付け加えこの度アップすることにしました)