大昔のヒトの精神疾患について思うこと | kyupinの日記 気が向けば更新

大昔のヒトの精神疾患について思うこと

大昔はヒトの平均寿命はずっと短かったため、今より疾患の数(%)は少なかったと思われる。その理由は、更年期~高齢にならないと発病しない疾患もあるからである。

 

若い人がワーキングホリデーなどを使い国外で働こうとした際、若年者は持病が少なく病院にほとんどかからない人が多いことも決断しやすい点である。日本ほど医療費で心配がない国は少ない。

 

各国の平均寿命は、その国の衛生水準、医療水準、医療保険制度などが大きく影響する。人は生まれた直後、生命の危機にあるが、ここを乗り越えると平均寿命より長く生きる確率が高い。つまり80歳が平均寿命の国では、20歳まで生きた人は80歳より長く生きる確率が高くなる。これは条件付き確率である。

 

精神疾患でも内因性精神病は幼少時には発病しないが、統合失調症に関しては高齢になって初めて起こる疾患ではないので、比較的若い年代の疾患と言える。その意味で平均寿命が短かった太古の時代から統合失調症はあったと思われる。

 

ただし現代のような症状だったかというと、そうではない。時代によって同じ疾患でも見え方が変わるもので、より原始的な病態が多かったと思われる。いわゆる緊張病性昏迷や興奮などである。その人が住む集団によっては、その病態が畏怖をもたらし、稀に巫女さんのような待遇になることもあったと思う。逆に悪魔憑きのように扱われ殺されることもありえる話である。

 

統合失調症は今より緊張型が相対的に多かったと思うので、著しく悪化しても、時間が経ち普通に生活できる人もいたであろう。その際、寛解状態が長い人はある種の「特別な人」に扱われたかもしれない。しかしトータルとして生きにくいのは間違いなく、次第に淘汰されていくはずの疾患がそうではなかったことはかなり重要である。

 

破瓜型(解体型)の人は慢性進行性の経過をとり、身の回りのことが次第にできなくなるので、緊張型より悲惨であったと思われる。

 

ここで重要なのは、かなり昔だと緊張型は心因反応性ものが増えて、本質的には統合失調症ではない人も多かったであろうことである。その視点では破瓜型は心因反応では起こりえない病態なのでより統合失調症での中核的な障害だと思う。破瓜型の人は長生きなどできなかったと思われる。

 

いわゆる自閉症は生来性の疾患なので大昔からある疾患である。自閉性スペクトラムと呼ばれる軽症のタイプももちろんあったと思うが、二次障害的な精神症状の顕れる率、病態の幅、社会適応力の差があったのではないかと思われる。日本の江戸時代くらいでは、農民の割合が多かっただろうし、士農工商の身分制度があり、社会属性の流動性も乏しかった。農民がいきなり武士にはなれないからである。

 

社会には今よりゆとりがあり、他人との繋がりも今ほど希薄ではなく、おそらく時間の進む感覚も今よりずっと遅かったと思われる。いくつかの大きな社会的制約以外は、窮屈で職業や時間に縛られているような社会ではなかったと思うからである。仕事の内容なども今よりシンプルかつわかりやすかったと思う。

 

そのような時代にはストレスがなかったとは思わないが、少なくとも現代的なストレス社会とは異なっている。これらの理由もあり、この時代の自閉性スペクトラムの人たちは二次障害的な精神障害が生じにくかったと思われる。その差異は戦後の30年くらいと2000年以降でも大差だと思われる。

 

精神疾患の表現する病態は刻々と変わりつづけている。内因性疾患が変わっていくようにそれ以外の疾患も変わりつづけているのである。

 

過去ログでは摂食障害が最初に出現した時、拒食・るい痩状態が多かったが、次第にそのタイプは減少し過食症が多くなったと記載している。過去には拒食タイプの人たちはモデルのような理想体型があり、それに向かうような摂食行動に見えた。その後、時代が変わり、理想体型の多様化が起こったこともあるのかもしれないが、拒食・るい痩タイプをあまり診なくなったのである。

 

ごく近年では、古典的摂食障害自体が減少しているように見える。かつての極端な過食症が減少してきたのである。今も拒食、過食症状も診ないわけではないが、精神疾患としてメインストリームと言える病態ではなく、何らの他の精神疾患の1症状に留まっている。

 

またリストカットすら以前とは異なっている。平成10年以降の生まれで精神疾患を持つ人はかつてほどリストカットをしない。今の若い人はヘビーなリストカットを選択しなくなったのである。リストカットをする人は、むしろかつてそのような習慣があった3035歳以上の人たちである。

 

彼らはなぜそんな風に変化したのだろう?とよく考えていた。

 

これはおそらく社会環境の変化による。特にインターネット、スマホの影響が大きい。かつて、日本はあまりにもインターネットが普及していないといった記事をアップしているが、今はスマホでインターネットへのアクセスが容易になった。そのために個人の生活する社会空間が広がったのである。元々、インターネットやスマホは内向的な機器である。内向的な機器を使うことで内向的世界の地平線が遠くなった感じだと思う。

 

社会空間が広がると、リストカットや摂食障害のように個人の内面の狭い空間で暴れるような選択をあまりとらなくなるのであろう。反面、SNSを通して個人攻撃をしたり、さまざまな場面でクレーマー的行動を取ることで心のエネルギーのバランスを取ろうとする人もいる。これもその人の疾患性である。

 

かつて、日本は明るい未来を描いていたが、バルブ崩壊でそうもいかなくなった。ブレードランナーという映画を観るとわかるが、それまで多くの人が思い描いていた世界ではなく、決して明るくない未来を描いている。

 

日本人は明るくない未来を先取りして体験しているので、その点でも前衛的な国民だと思う。その意味では、ひょっとしたら、日本の精神疾患の変容は未来を暗示しているような気もしている。それでもなお、個人的にはそこまで悲観的ではない。

 

今回はリウマチなどの膠原病と精神疾患の男女差の話をしようと思ったが、最初の部分が長くなったので、総論的な部分だけまとめてアップしました。