「正しいと思ったことは信念を曲げない」と言うバランスの悪さ | kyupinの日記 気が向けば更新

「正しいと思ったことは信念を曲げない」と言うバランスの悪さ

ずっと以前だが、2人乗りをしている原付バイク(違反)に対し、突然、路上に飛び出して、両手を大きく広げ制止しようとした人がいた。

その結果、驚いたバイクの運転手が運転を誤り転倒。その結果、同乗していた人が死亡した。

その後、死亡した同乗者の家族が裁判を起こし、制止した人が負け、死亡した結果には釣り合わないが、裁判所は600~700万の支払いを命じたのである。

裁判結果を受けて、制止した人のコメントは、正しいと思ったことをやった結果なので仕方がない、悔いはないといったものだった。(今も正しかったと思っているといった内容)

このコメントは、全くと言ってよいほど死亡した人の家族の心情を汲んだものにはなっていない。自分のことしか語っていないとは言えた。

死亡した人がなにがしか悪かったのは確かだが、制止した人への迷惑行為にはなっていないし、結果的に生命を失うほどの罰を受けるものではない。少なくとも、遺族は死亡の原因になった人から、そんなコメントは聴きたくなかったと思う。

一時、ある銀行のドラマのセリフに由来する「倍返しだ」というフレーズが話題になっていた。色々な経緯があったとは言え、大きな役員会で皆が見ている中、上司を土下座させるほどのものであったかは、はなはだ疑問だ。ああいう行為は、多分だが、日本的ではないのである。

半沢氏はドラマ内では左遷に処せられたが、あのやり過ぎ的「常識のなさ」が、組織全体を重視するトップには問題とされていたような気がした。(真相はわからないが)

数年前の事件で、道端に座っていた少年に対し、「キモイ」と言った女子2名および男子1名に対し、その少年が持っていた刃物で切り付け、男子が死亡する事件が起こったが、今も犯人が捕まらないままだ。この事件の後、ネットでは「キモいと言われたのなら仕方がないよね」というコメントが出ていたが、これもおかしい。

キモイと言われたからと言って、言った人を殺しても良いですか?

という話だ。上の倍返し風に言えば、1000倍返しだと思う。

歴史的には、倍返しの発想は、より大きな禍をもたらすことが多い。

それは、第一次世界大戦終結後ベルサイユ体制時のヨーロッパを見れば明らかである。また、最近のガザ地区の戦闘もそれに近い。

そのようなことを考慮し、第二次大戦後のドイツや日本には過酷な賠償金は課せられなかったのである。

また、「正しいと思ったことは信念を曲げない」と言うバランスの悪さは、そのような考え方の人々が、反社会的新興宗教など特殊な集団から脱出できない原因の1つにもなっている。

参考
お金を下ろしたことがない人
ワールドカップ2014、ドイツ優勝