フェージング | kyupinの日記 気が向けば更新

フェージング

子供の頃、海外の短波ラジオ放送を聴く趣味があった。海外から発信される日本語放送で、内容的には共産圏でもあまり乱暴なことを言わず、比較的穏やかなものが多かったように思う。

今はどういう風になっているか詳しくないが、当時のラジオはわりあい短波も聴けるようになっていた。日本の短波放送は2つの放送があった。

短波では日中はニュースや学習もの、株式マーケットの実況、競馬などの放送がされていた。これらが短波で放送されたのは、短波は遠距離でも受信できるため、たぶん1つの電波塔で広くカバーできたからであろう。例えば、インド洋を航行しているコンテナ船の船員でも聴取できるからである。

ある周波数帯では、共産圏の人が資本主義国の放送を聴けないように妨害電波が発せられていた。その周波数は雑音だけで何も聴取できないのである。

短波放送は日や時間により、あるいは天候も関係しているのか、電波状態の良し悪しの差が大きかった。継時的に電波状態がサインカーブを描くように変化していくと、よく聴こえる時間がしばらくあり、次第によく聴こえなくなる。その繰り返しはフェージング現象と呼ばれた。

タモリは今でこそあまり芸をしないが、若い頃は、このフェージング現象をうまく真似したお笑いネタがあった。(それ以外では麻雀ネタなど)

当時、海外の短波放送を受信したことを知らせる手紙を出すと、その放送局から、証明書のような記念品が送られてきた。絵葉書のようなもので、実に慎ましやかな趣味だったと今でも思う。

海外の短波放送を「聴くことだけ」が趣味であり、内容なんてたいして重要ではないのである。

ロシアの声(Voice of Russia)の日本語放送は今年70周年を迎えるらしい。元々、ロシアの声は世界の5大ラジオ放送局の1つで、1929年10月29日に開局。その年内に、ドイツ語、フランス語、英語放送を開始している。日本語放送は1942年4月開始なので、まだ第二次世界大戦中である。

独ソ戦のスターリングラードの攻防戦は、1942年6月28日から1943年2月2日である。ということは、日本語放送の開始は政治的意味合いが結構あったように今では思われる。

日本とソ連は1941年4月に日ソ中立条約を結んでおり、そのためソ連は東部戦線に配備していた精鋭部隊を西部戦線の独ソ戦に向けることができたからだ。

子供の頃、実際に「ロシアの声」を聴いていたのかどうかよく思い出せない。いくつかの放送局から、記念品はいくつか貰ったが今は残っていない。

フェージングはいかにもアナログ的な現象であるが、あれを医療に活かせないものか?と時々思う。

電波に限らないが、鮮明に聴こえるより、むしろノイズが混入し不鮮明な方が良いことが日常生活の色々な場面で見られる。


今の人は、「鮮明さ」に慣れすぎていると思う。

参考
トピナ再考
オーディオとエイジング