自分が自分を殺したら・・ | kyupinの日記 気が向けば更新

自分が自分を殺したら・・

自分が自分を殺すことを自殺と呼ぶ。これはある種の暴力と言えるが、それだけなら犯罪にはならない。加害者と被害者が同一人物だからであろう。

ごく稀に、飛び降り自殺未遂の際に、全く無関係の通行人と激突してその人が亡くなることがある。もし自殺未遂の人が重傷程度で生存していれば、罪を問われると思われる。もちろん殺意はないので、酷く重い罪にはならないであろう。まして自殺未遂するような人であれば・・

こういう自殺に関連して無関係の人が被害を受けるケースが新聞などで時々見られる。例えば硫化水素による自殺の際に、近隣の人がその有毒ガスを吸って死亡するケースである。自殺する本人は「毒ガス注意」くらいの紙をドアに貼り、それで大丈夫くらいに思っているのかもしれない。

しかし、一般人にはワケわからないって。

このような事件は刑事責任はともかく、責任能力なしの事件とは思われないので民事的な責任を問われる。だから状況にもよるが、加害者の資産は残らず損害賠償にあてられる感じにはなる。もちろん、全く資産のない人は払えない。この場合、巻き添えで死んだ人はまさに犬死である。(お金を貰ってももちろん本人は戻ってこないが、その被害者家族にとっては大問題。まだ小さな子供がいたりするからである)

拡大自殺は、例えばうつ病の人が自殺したいが、残した子供が不憫に思われるので殺すようなケースを言うように思うが、インターネットでは少し違った意味で書かれているものが多い。自殺したいができないので、死刑になるような大犯罪をするなどである。死刑にしてもらいたいらしい。

このような動機による事件が実際に起こるので、むしろ死刑を廃止した方が良いという意見がある。アメリカ風に言えば、仮釈放なしの終身刑とか懲役200年などにする。このような刑法だと、死刑以上に苦痛な状況が続くと思う人もいると思われるので、このタイプの犯行は減少するかもしれない。Wikipediaではなぜか僕が最初に挙げた拡大自殺の意味が書かれていない。おそらく複数の意味があるのだが、1つしか書かれていないのであろう。

うつ病の人に限らず、残した家族が今後困るという短絡的な判断で家族を殺してしまうのは(一家心中など)、極めて日本的ではあると思う。女性のうつ病に限らず、近年では夫が認知症の妻の看護に疲れ、殺してしまうような事件もある。

真に健康な精神状態では希死念慮は生じない。「それはない」と思う人は洞察ができていないだけだ。

普通、重いうつ状態を呈していて自殺する直前、「幼い子供を残して死ぬのは不憫だ」と思うことから発生する殺人事件は責任無能力(心神喪失)になるのは稀である。なぜなら、「自分が死んだ後の影響を理解できている」からである。(心神耗弱、限定責任能力あり)

また逆に子供を道連れにするのは可哀想だと思い、自分だけ自殺するケースも「影響を理解できている」点で心神喪失的とはいえない。(ただ、これは遺書でもない限り確かめられないが・・)

その点で、親や配偶者に「遺書を書く」と言う行為は心神喪失的ではない。(死の影響を予見できている点で)

自分が死んだ時、母親がいかに辛いかを考慮した内容ならなおさらである。

自殺の方法も同様である。例えばアパートなどで縊首自殺する場合、後で大家に両親がさんざん文句を言われて大変な目に遭うと思い躊躇うような人は、心神喪失的とは言えない。これは上に書いたように、死後の影響が理解できているからである。また「こういう死に方はきついだろう」と思えるものを避けるのも、同様に心神喪失的ではない。

そういうことも思いつかない人は、うつ状態でもかなり重いと言える。幼い子供が2人ぐらいいて、自分だけ飛び降り自殺する人は上に挙げた(子供を殺すのは可哀想)考え方より、「何も思いつかなかった」という可能性がずっと高いと思う。ということは、このケースはうつ病でも、限りなく心神喪失に近かったのかもしれない。(実は、限りなく心神喪失に近いものを心神耗弱と呼ぶので、この言い方はかなり変ではある。←重要

うつ病による拡大自殺、あるいは自殺では「うつ状態」という精神障害がその行為を支配している面が極めて大きいため、普通「完全責任能力あり」になり難い。しかし、今までに書いてきたように「責任無能力」にもなり難い。

結局、子供を殺して、自分(母親)は死に切れないような殺人事件は、心神耗弱となり、かなり軽い刑で済むケースが多い。殺人事件なのに執行猶予がつく場合もある。この理由は2つある。

1つは、この殺人事件は極めて日本人の琴線に触れる事件であること。裁判官の裁量で軽い刑になりやすいのである。(つまり情状酌量)

もう1つは、加害者と被害者が同一家庭にあり、被害者と加害者が同一とも言えるからである。これは近年「被害者の心情を酌む」という判決傾向にも関係がある。残された夫からしても、子供は殺されるは、妻は無期懲役になるわでは、かなり悲しい判決と言える。この場合、寛大な判決を望むケースがほとんどである。だからこそ、法律家により配慮されるのである。

だいたいこのタイプの殺人事件は、いかにも身内の人が殺したような状況が見て取れることが多い。つまり怨恨などの殺人事件ではないため、遺体をできるだけ傷つかないように大切にしているとか、誰が犯人なのかわかりやすい状況になっているのである。(現場に千切れた指が落ちているとか、凄惨なものにはならないと言う意味)

しかし実は裁判官にとって犯人の心情が理解できればできるほど、犯人には正常な精神が残遺しているとも言えるのである。だから、その点で矛盾するのだが、日本ではそう扱われているのであった。(犯人の罪を重くしろと言っているのではない)。

少なくとも、うつ病による犯罪が「限りなく心神喪失に近いとはいえない」ようなものでも、心神耗弱とされ、更に情状酌量されて比較的軽い判決を受けているのが実際である。

日本では生命保険加入以後に精神疾患を発病し自殺した場合、加入後2年を過ぎていれば保険金がおりるようになっていることが多いが、この2年にはバラつきがあり普通は1~3年ぐらいである。(詳しくは保険証書の定款を見よ)

実はこのルールには非常に問題がある。

精神疾患は罹患したことがある人ならわかるが、平均してずっと治療している人と、治療的になにもしておらず、しばらくどこにも通院していない時期が数年ある人が存在する。だから、生命保険加入時点で不備がある人があんがい多いのである。

特に中年の男性患者さんの場合、うつ状態で追い詰められて自殺しようと思ったとき、子供や妻は自分の生命保険があるから、その後生活は大丈夫だ、くらいに思うことがある。

これこそ最初に書いた、まだ正常な判断力が残っている部分である。(つまり心神耗弱)

これはある意味、保険金を当てにした自分への殺人事件である。もし生命保険がなかったら、自殺までは決断できなかったかもしれないのである。

結局、このある種の保険金殺人事件は最後の最後で失敗することも多い。そう易々と保険金を支給するようなぬるいことを保険会社はしないからである。これは過去にいかに不法な保険金の未払いが多かったかを見てもわかる。

現在、日本はデフレが長く続いたこともあり、各保険会社は実質大赤字の保険を多く抱えており、また株価の下落もあって、必ずしも財務が健全ではない(生命保険会社による)。高い予定利率の時代の保険がまだたくさん残っているからである。(予定利率の高い終身保険など)

各保険会社は自殺による保険金支払いについてはかなり慎重であり、加入者に落ち度がないか徹底的にお金をかけて調べるようである。(専門の調査機関に依頼する)

例えば、ある人が自殺するまでに、A、B、Cの3つの精神科病院にかかったとしよう。すべての医療機関にかかる以前に保険に加入したもので、規定の期間(2年くらい)を過ぎていれば、まず問題なく死亡保険金が支払われる。これは落ち度がないからである。

問題は複雑な経過をとり、病院にかかったりかからなかったりした場合。このような時、その精神疾患が一連のものか非常に微妙なことがある。当初は全く病態が異なるように見えることがあるから。そのような時、ギリギリ告知義務違反だったりすると、もちろん支払われない。その理由は保険金額が大きすぎるからであろう。

調査員が各病院を訪ねて、いろいろ話を聞くが、各病院のドクターのコンセンサスは必ずしも一致していない。このような際、各病院の歴代の主治医の連携などないに等しい(そのうち1名でも、「あれは一連のものでしょう」などと言われると非常に不利になる)。たぶん最も保険会社にとって都合の良い意見を採用するのであろう。また保険会社にも顧問の医師もいる。

かくして、期待した保険金は往々にして支払われないのであった。

実は裁判でもして戦えば、保険会社が負けるのではないかと思えるような人にも支払わなかったりすることもある。これは裁判をするかどうかはその家族の判断だが、こういう民事訴訟を起こすのも大変と言えば大変である。それは真実が客観的なものではないから。証明することすら難しい。これは例えば公判鑑定で異なる診断名がゾロゾロ出てくることでもわかる。おそらく、第一感で勝てそうに見える裁判でも実際に勝ちきるのは容易ではない。保険会社の顧問弁護士も腕利きだからである。

一般に保険金を期待して自殺するような人は、細かい判断力が衰えていることもある。また一般にある期間が過ぎれば自殺でも保険金が支払われるように言われているし、そこまで考えが及ばないのであった。

結局、自殺は原則、保険金を支給しないようにした方が、かえってそのようなタイプの自殺が減少するのではないかとすら思う。自殺の決断の根拠に「生命保険があること」が入り込んでいるからである。

これは最初に書いた拡大自殺と死刑の話に似ている。