精神科医は書類に忙殺される(前半) | kyupinの日記 気が向けば更新

精神科医は書類に忙殺される(前半)

患者さんは気付かないと思うが、精神科医はあまりにも書類が多すぎ、事務的なことに忙殺されている。もちろん、それは受け持ち患者の数に比例する。

ずっと以前は、今の自立支援法(いわゆる32条)と障害年金の診断書くらいしかなかった。他は会社、学校、生命保険会社に出す診断書程度である。今の医療保護入院はかつて「同意入院」と呼ばれたが、当時その書類があったのかどうか記憶が曖昧だ。その書類に忙殺されたような記憶がほとんどないので、ひょっとしたら上司が書いてくれていたのかもしれない。むしろ、その当時は院内で退院時のサマリーを書くことを義務づけられていて、その方に時間がとられていたような気がする。

ある時、PSWの女性スタッフが僕のサマリーを読んでいて、最後に突然、終わってしまっているので、笑いながら何故なのか質問してきた。その理由は簡単だった。そのサマリーは1枚の紙に書くようになっており、スペースが狭すぎ、途中で終わらざるを得なかったのである。終わるためには突然退院したことにするしかない。理由はそれだけだと説明した。僕のサマリーは、まだ物語になっているのでまだマシだったと思う。全く字が読めない人もいたからである。

むしろ、あのサマリーをそういう風にきちんと読む人がいることに驚いた。当時はまだコンピュータやワープロで書く習慣はなく、手書きなので予定が狂うこともしばしばで、いちいち書き直すほどの時間の余裕さえなかった。突然終わった理由は、そのような必ずしも必要とは思えないサマリーをこれだけ入退院の激しい病院でさせていることに対する抗議の意味合いもあったと今では感じる。

僕が精神科医になった時、まだ精神保健指定医なる資格は存在せず、その後、必要ということになり、厚生省(現;厚生労働省)がその国家資格を履歴書とレポート提出により認めることになった。当時、精神科病院でいろいろな事件が起こっていたこともあり、精神障害者の人権を守る視点から制定された面が大きい。(一般に法律に関係が深い科は精神科と産婦人科である)

精神保健指定医の資格ができる以前に精神科医になり、しかもある程度の年数を経た人は国はその資格をタダでくれてやった。僕より数年上のドクターは何も努力もせず指定医を取得している。当時、長く精神科に勤めていた内科などの他科のドクターもちゃっかり指定医を貰っている。

まあ、高齢のドクターもいるわけで、今さら書きようがないレポートを提出せよと言っても無理な話ではあった。そういう経緯もあり、数年上の先輩がちょっと羨ましかった。医学部を卒業した時点で、そういうものから開放されたと思っていたからだ。

ちょっと面白い話があり、当時規定の年数を経ていたような人でも大学院に行っていた人はタダでは指定医をもらえなかった。これは大学院はあくまで学生だからであろう。大学院でも海外に行っているならともかく、国内にいれば普通、臨床もしていることが多い。妙な話ではあった。だいたいタダでくれてやった人が大勢いるのに、ここで突如厳しくするのはナンダカナ~感は抱かざるを得なかった。

精神保健指定医は試験はないので取得しやすいように思うだろうが、そうでもない。現在の詳細は知らないが、レポートには「児童思春期」と「措置入院」の症例が含まれているからだ。措置なんて、県によってはろくに件数がないところもある。措置入院で処遇するかどうかは、ローカルな面が大きく、人口比の指標で県により措置数にかなり差がある。

例えば精神科救急に自殺未遂で救急車で運ばれたような患者さんがすべて措置入院になるかといえば、なった方が奇跡のような確率と思われる。だいたい彼らをすべて措置入院にしていたら、自殺未遂は夜間にも多いので、寝ていたのに駆けつける県庁の人が倒れてしまうであろう。措置鑑定をする精神科医も大変である。

結局、自殺未遂の人は入院の必要性がある場合、医療保護入院か任意入院、あるいは一般内科の普通の入院になることが多い。これが現実に即した対応なのである。これを見ても、「自傷他害」という所見は柔軟に解釈されていることがわかる。この柔軟さに地域差があるので、県によってかなり措置件数が異なるのであろう。

他害行為があれば必ず措置になるかといえば、そうとも言えない。家で暴れて、母親に怪我をさせたケースでは措置入院になることもあるが、医療保護入院か任意入院になることもある。家族は他人ではないからである。普通、措置入院になるのは由々しき事態である。これは偏見で言っているのではなく、家族の意見も無関係の強制的入院になるのはそうそうあるものではないという視点で言っている。(家族の退院希望が受け付けられないという意味)

実際、精神保健指定医の症例ほしさに、普通なら措置入院にするほどではないのにレポートのために措置入院の処遇をしたため、家族とトラブルになり訴訟にまで発展したこともあったらしい。

もう少し曖昧な他害行為、例えば、店先で空きビンを叩き割りまくったなどでは、措置入院になることもあれば、医療保護入院か任意入院になることもある。これはやはり他害の程度や被害者の有無にもよる。手続きの煩雑さを避けるのもあるのかもしれない。この辺りの感覚が県によりたぶん異なるのだろう。

軽微な他害行為でも、本人の境遇や医療的な面で、むしろ措置入院にした方が良いケースもある。それは浮浪者同然の人で、医療費が支払えそうにない人たちである。生活保護にすれば良いのでは?と思うかもしれないが、普通、住所のない人は生活保護は受給できない。

民間病院も、今は公的病院もそうだが、家もなく、健康保険も国民保険もなく、現金も皆無の人を入院させても非常に困る。こういうケースでは他害行為があるのなら措置入院にするのが自然だ。公的に医療費が支払われるからである。厳密には、措置入院は須らく無料ではない。お金がある人には医療費を支払ってもらうことになっているらしい(僕はそのケースは1名しか経験がないが・・)

もう少し重大な犯罪、例えば殺人や放火などでは、かつては措置入院になっていたが、今は医療観察法の処遇になる。もちろん今でも最初、いったん措置入院になることもある。

現在、医療保護入院と措置入院の書類は新規は当然として、定期的に更新の書類を都道府県に提出することになっている。これは書類の中でも比較的書くところが多いものであったが、変遷がありごく最近、少しだけ書くところが減った。しかし、仕方がないような内容を書かせるのは如何なものか?といつも思う。面白いのは、

患者本人の病識や治療への意欲を得るための取り組みについて


これは重大発言である。長く入院していて病識が欠如している統合失調症の人が、治療の経過で真の病識が出現することはほぼない。それは驚異的な病状回復をして働けるようになった人でも同様なことが多い(病識は欠如しているという意味)。だから、これは現場の状況を全く知らないようなピントのずれた質問に見える。

この質問を思いついた人はおそらく、重い統合失調症の人も認知療法でなんとかなると思っているんだろう・・と思った。

重度の統合失調症の人はおそらく真の病識がないことで「ある種のバランス」が取れているのである。

そういう視点では、その病識を生み出す努力を書かせるのはナンセンスである。(長期に医療保護入院になっていること自体、つまりそういうこと。)

僕はなにがしかこの欄にある程度の説明と言うか、申し開きをするが、その文章にはある種の怒りが感じられることがある。本当にそう感じているのだから致し方ない。

かつて、精神保健福祉手帳はなかったが、後にこの制度も設けられたので、この仕事も大幅に増えた。精神保健福祉手帳はけっこう軽い人も貰えるので、仕事量の増加は相当なものである。しかも、この書類は精神科医が書く。障害年金と精神保健福祉手帳の診断書は他科のドクターでは精神科用語に慣れていないのためうまく書けないと思う。あの書類は作った人の気合が入りすぎていて、今や障害年金の書類と大差ないほどの量になっている。

かつて、精神保健福祉手帳は個人の写真を貼ることに反対意見があったため、単に患者さんの名前を書いた手帳に過ぎなかった。だから、この手帳で例えばその女性患者の妹さんが不正に使用しても確かめようがなく、その点でサービスが広げられない面があったのである。数年前から写真を貼るようになったため、全国で受けられるサービスが拡大している。

以前は手帳を取ったところで、都市部はともかく郡部ではサービスらしいサービスがなかった。当時は診断書料を支払ってまで取らなくても良い状況であったが、今は違うと思う。

自立支援法や精神保健福祉手帳についての説明を患者さんになかなかしない精神科医がいる。また患者さんが希望した時に、病名的にどうのこうの言ってなかなか書きたがらない人もいる。

これはつまり、書類を書くのが面倒だからなんだと思う。いったん提出すれば更新の書類もずっと書かないといけないから。僕は初診の時から薦めることはしないが(変にマイナスに受とめられることもあるため)、数回診察して、その方が本人のためになると思えたら本人にそのようなサービスがあることを紹介している。


(前半終わり)