悪性症候群の謎 | kyupinの日記 気が向けば更新

悪性症候群の謎

悪性症候群は、一般には向精神薬の重篤な副作用を言う。具体的な症状は、この記事ではあまり重要でないので省略したい。興味がある人はググってほしい。

僕が最初に今日的な「悪性症候群」の存在に疑問を持ったのは、28歳か29歳頃、ある女性患者さんの観察中であった。この人は抗精神病薬による薬物治療をしていると、次第に昏迷、筋強剛、意識障害、発熱、CPK上昇を生じ、いわゆる「悪性症候群」の病態に至るのである。

その際に、薬物を止めて十分な補液をしているとしばらくして治ってしまう。それでもうまくいかないときはダントリウムなどで治療をすると改善したが、後に、ECTをすれば最も治癒が早く、1~2日でほぼ完治することがわかった。これが何回も繰り返されるのであった。

彼女こそ、気性が荒く、頑固、言い出したら聞かないといった非定型精神病の典型的な性格であった。その後、僕は向精神薬でもこうなりやすいものと、なりにくいものがあることに気付いた。

悪性症候群になりやすい薬物
セレネース、クロフェクトンなどの定型抗精神病薬

悪性症候群になることもある薬物
ルジオミールなどの抗うつ剤 リーマス

悪性症候群にあまり関係ないように見える薬物
レキソタン、デパス、眠剤などのベンゾジアゼピン

悪性症候群にプラスにもマイナスにもなりうる薬物
アキネトン


悪性症候群になる気配みたいなものが必ずあり、先手を打ち早めに薬を切っておくと治癒が早くなっていた。何度も同じような経験をするうち、彼女こそ、周期性精神病(非定型精神病)と思うようになった。その視点だと、あの悪性症候群の病態は「夢幻様状態」または「昏迷」になる。

以前の主治医がクリニックを開業していたので、話を聞きに行くことにした。僕の大学の10年くらい先輩である。この人、変な人で、毎日3時間睡眠で生きていられるという。おまけに、学生運動の残党みたいな人たちに資金援助もしていた。ちょっとわからないのは、家元のソ連でさえ共産主義をやめているのに、何が悲しゅうて、そういうのに援助するんだろう?ということ。ユニセフに寄付した方が100倍マシだ。精神科医には上には上がいる。

彼の話は意外なものであった。本来、うちの大学では「非定型精神病」の診断はあまりされなかった。これは過去ログにも出てくる。その先輩は「彼女はパーキンソン病だ」とあっさり言った。彼は悪性症候群のような病態になると、そう診断せず、アキネトンを点滴静注するのである。それでいつも治っていたというのだ。

この話は、ちょっとこれは・・と思ったので、当時の精神鑑定でいろいろ教えて頂いていた先生に患者さんを診てもらった。彼の答えも驚愕だった。なんと彼女は脳波異常があるので「てんかん」だというのだ。ということはあの夢幻様状態はてんかん発作という事になるが、これも相当におかしい。

最もおかしい点は、てんかん発作にしては発作の持続時間が長すぎることであろう。

彼らはいずれもおかしな話をしているように見えるが、ある意味正しいのである。この時、僕はまだその全貌がつかめておらず、気付かなかったのであるが。

周期性に訪れる昏迷、筋強剛、発熱、CPK上昇は、診断基準に照らし合わせると悪性症候群なのであるが、非定型精神病の視点だと、極めて身体的(器質的)な症状ということになる。彼らはいずれも器質性疾患の色彩で診断している。その点ではコンセンサスがあるといえた。

後にこの患者さんを診察している時、もっと驚愕することに遭遇した。彼女はある時、薬を飲まないのに悪性症候群に至ったのである。これは周期性精神病なら「夢幻様状態」で良いのではないか?という意見があるかもしれない。しかし、薬物を使っている時のそれと区別ができないなら、その意見が正しいかどうか極めて疑わしい。

この頃から「悪性症候群という病態」が単に薬物性の副作用ではなく、身体的要因が大きな割合を占めるという考え方に至った。これこそ僕の治療スタイルに深く関与しており、現在の治療成績の向上に貢献している。

おそらく、悪性症候群=向精神薬の副作用、というのは言い過ぎなのであろう。

その後、僕はこの悪性症候群、非定型精神病、薬物のかかわりを意識し、常にそういう見方をしていた。そのうちいろいろな臨床経験を経て、悪性症候群は主に薬物などをトリガーとする「脳の熱暴走」あるいは「カタストロフィ」と理解するようになった。この症状は極めて非定型精神病的色彩が強い。また場合によれば向精神薬が関与しないケースもありうるので、悪性症候群の一般的な定義はちょっと変なのである。

悪性症候群=脳のシステムの熱暴走(カタストロフィ)

実は熱暴走というには、たいした熱が出ない人も多い。こう書くとコンピュータっぽくてわかりやすいのでとりあえずこう書いている。だいたい「悪性症候群」という病名は名前負けしていると思う。死ぬ人なんてほとんどいないのに。悪性症候群と家族に言わねばならない精神科医の身にもなってみろ、と言いたい。

実は、この熱暴走と裏返しの病態があり、それは主に薬物をトリガーとする「異常低体温」である。これもカタストロフィには間違いないし、この方がむしろ生命の危険性が高い。良い治療法がないからである。ただ、非常に珍しいけどね。

こういうのを診ても、高熱、筋強剛のパターンのみ悪性症候群とするのは、薬物性副作用としたとしても片手落ちっぽい感じがしている。双方を含めた方が理解しやすい。

その後、僕は次第に悪性症候群の診断をしなくなったのである。このブログでは、ジプレキサで悪性症候群を経験したとか、こういう病態では悪性症候群に移行しやすいというフレーズが出てくるが、今日の記事をこれまで説明していなかったので便宜的にそう言っていた。

脳のカタストロフィは、薬以外の要因では滅多に起こらない。向精神薬を飲まない限り、悪性症候群の病態になるのは極めて難しいのである。これは救急外来で精神科患者が、いきなり悪性症候群で初診することがほとんどないことを見てもわかる。

それでもなお、薬物の関与しない悪性症候群様病態は存在する。かつて、抗精神病薬の出現以前、「致死性緊張病」なる疾患?があった。これこそ、今で言う薬の関与しない「悪性症候群」である。この「致死性緊張病」は現在、症例報告自体がない。これはきっと悪性症候群に紛れてしまったと思われる。

こういう話を年寄りの精神科医にすると、「いや、悪性症候群と致死性緊張病は違う」なんていわれるが、今は統合失調症をはじめ古典的疾患が文化、環境の変化のために軽症化しているので違って見えるだけだと思う。

薬も飲まないのに統合失調症の人に振戦とか筋強剛だとか言うが、これはおかしいと思う人もいるかもしれない。しかし、本来、統合失調症患者は統合失調症そのものが原因で錐体外路症状を呈することがある。その根拠として、クレペリンの著書に統合失調症のパーキンソニズムやジスキネジアなどの記載が見られている。クレペリンは戦前に亡くなっているのである。(抗精神病薬の出現は1952年)

CPK上昇にしても緊張型とか非定型精神病性の色彩のある人は、まだ服薬していない初診時に既に上がっているのをよく診る。

向精神薬でもカタストロフィへのかかわりには細かい差異があり、

① トリガーを引き、しかも加速する薬物
すべての定型抗精神病薬および非定型抗精神病薬。リーマス。旧来の3環系、4環系抗うつ剤。SSRI? 一部の抗てんかん薬?

② トリガーは引きうるが、加速までは起こさないであろう薬物。
パーロデルなどの抗パーキンソン薬。

③ トリガーを引くことはなく、加速も生じないであろう薬物
ベンゾジアゼピン。漢方薬。ダントリウム。


ベンゾジアゼピンで悪性症候群が生じたとしたら、何も使わなくてもたぶん悪性症候群になったと思うよ。こういう見地に立ち、僕は悪性症候群のような病態に至ってもベンゾジアゼピン系眠剤は必要と思えば中止しない。こういう時はたいてい不眠があり、ベンゾジアゼピンを投与することにより睡眠が改善し休養が取れるからである。またその症状にもいくらか効いているようにも見える。

結局、このような病態にはベンゾジアゼピンはincisiveでないのだろうと思う。過去ログの「附子」から、

「体を暖める作用」というフレーズが出てきたが、これはきわめて東洋医学的な考え方で、この効果を持つ漢方薬はけっこうある。

しかし、おそらく体を暖める西洋薬は基本的にない。

向精神薬では、メジャートランキライザーは典型的な実証タイプの薬と思われる。パキシルやジェイゾロフトなどのSSRIも、微熱が出ることがあっても暖めているとはとうてい思えない。虚証の人は下痢などの胃腸障害で飲めそうにない。ただ、マイナートランキライザーは、個人的には冷やすも暖めるもないような感じがしている。マイナーにはそういう色がない。


このような東洋医学的な考え方からも、そこまで悪いものではないように思える。僕の視点では、薬はあくまで脇役なのである。パーロデルは添付文書を見ると、悪性症候群を生じうる(離脱など)薬物とされているが、同時に治療薬でもある。なぜこのおかしさにみんな気付かないのだろうか?と思う。おそらく薬が主役ではないからそのような奇妙なことになるのだろう。

僕はカタストロフィが起こり始めたらただちに薬を中止し補液を開始する。重い場合はダントリウムを使うが、もう長いことそこまで追い詰められたことがない。たいてい平凡に補液だけで治癒している。僕はこれを精神症状の一連のものと考えており、あまり副作用という感覚はないのである。

ある時、これはもう15年くらい前だと思うが、ネオペリドール200mg使用中に悪性症候群が生じた。あっというまに筋強剛、発熱、意識障害に至り会話すらできない。これは放っておくと大変なことになりかねない。なぜなら、ネオペリドールは筋注したら最後、1ヶ月ほど薬効が持続するからである。ヤンセンのMRさんがちょうど病院に来ていたので聞いてみると、深刻な顔つきで「臀部の筋肉をくりぬく方法があるようです」などと言った。

工エエェェ(´д`)ェェエエ工 
そんな乱暴な・・

それまでの僕の悪性症候群の考え方から、ECTをかければ、間違いなく熱暴走を止めることができると思った。薬を止めることは理想だが、そうしなくても脳の熱暴走を止めればそれで済むはずと思っていたからだ。いったん止まってしまえば、加速も起こらない。

それに猶予していると取り返しがつかなくなる。ぼんやりしていると、振戦、筋強剛、高熱、意識障害が続き、全身状態が悪化するからだ。例えば腎不全を起こしたりすれば、ECTもかけられなくなる。まだ発症後間もない時期だからこそ、思い切った治療ができるのである。

麻酔医に彼にECTをかけようというと、自分は麻酔をかける気がしないと言う。ダントリウムは本来ハローセン(吸入麻酔薬)などによる悪性高熱症の特効薬だった。彼は、そういう知識が頭を過ぎったので怖かったのだと思う。ダントリウムは出始めは非常に高価であり、僕の学生時代は麻酔科の悪性高熱症しか適応がなかったが、1バイアル25万円(16万だったかも?)くらいしていた。

じゃ、僕1人でやろう。

麻酔医がしないと言うので、自分でECTをかけることにした。ああいう状況では、たぶん麻酔をかけることは禁忌なんだと思う。だから、どちらにせよ麻酔医にはたいした仕事はない。その日、CPKは5000を超えるくらいだった。

結果だが、劇的に回復したのであった。2日連続でECTを実施したが、すぐに意識が清明となり食事も自分で摂れるようになった。普通に歩きまわれるようになったのである。

実施した日から数えて3日目くらいだろうか?
彼が喫煙スペースでタバコをぷか~と吸っていたので隣に座って話を聞いた。体調を聞くと調子は良いようにいうんだな。明るく話をしていたのだが、まだこの人、ネオペリドールはしっかり体に入っているのである。この日、ちょっと不思議だったのは、このオッサンはタバコはぷか~と吸っているが、CPKはまだ4000以上あったことである。

ECTによりドラスティックに熱暴走(悪性症候群)を止めた時、CPKの推移にはいくつかのパターンがあり、このオッサンのように見かけは100%治っているのに、CPKの正常化がしばらく遅れる人と、速やかに数日で正常化する人がいる。過去にはもう治っているのに、CPK1万が1週間以上続いた人もいた。この臨床的意味は今も謎だ。

悪性症候群をなんとか脱すると、ほとんどの人は精神症状が以前より改善する。これは統合失調症の人に限らず、あらゆるタイプの疾患でそうだ。改善する理由はいろいろな考え方があるのだが、結局は緊張病的な病状悪化の色彩が強いからと思う。その意味ではこのカタストロフィはアポトーシス的だ。

脳は、どうもコンピュータに似ていると思うのよね。あらゆる点で。カタストロフィのECTによる劇的回復は、コンピュータの再インストール後にソフトのかつての不具合が改善するのに似ている。

また、悪性症候群は真の統合失調症の人よりはそうでない人の方が起こりやすいように見える。もう少し言えば、知的発達障害や中毒性精神病など脳にいくらか器質性のハンディキャップのある人に生じやすい。これはたぶん統合失調症でない人の場合、抗精神病薬に対する脳の耐性が乏しく、向精神薬に対するカタストロフィが生じやすいのだと思う。これは統合失調症の大興奮の際、大量の抗精神病薬を投与しても全然効かないことの裏返しである。

しかしこの局面こそ、極めて特殊な状況であり、精神病のダークサイドを抜けるチャンスなのであろう。過去ログから、

後輩が治療していたが、次第にかつてないほどの昏迷状態を呈するようになった。おまけに高熱である。僕はECT(電撃療法)をかけるように言った。普通、僕は若い統合失調症の患者さんにはECTをかけないが、このケースではやむを得ないと思った。(その後の細かい経過は省略) この1クールの電撃療法の後、彼は魔法が解けたように劇的に回復した。あの局面はおそらく精神病状態の変曲点みたいなものだと思う。その後、彼は普通に会話ができるようになり、体の動きにもかつてのぎこちなさが消え、病院から自転車であちこち遊びに行けるほどになったのである。(治療イメージについて

この日、彼はCPK値は8000以上あった。普通なら悪性症候群と診断するのかもしれないが、僕はむしろ「致死性緊張病」類似の病態と考えている。だからこそ、ECTが選択肢に上がるのである。結局、悪性症候群と薬は確かにかかわりがあるが、精神症状と一連としてみなした方が、治療の幅が出るし柔軟に考えることができると思う。

僕は、現在行われている操作的診断法の「悪性症候群」の理解は、いわば「天動説」だと思う。僕のもう少し広く捉える考え方が「地動説」だ。

中世の人は「天動説」としても誰も困らなかった。同じように、現在の悪性症候群の「天動説」的理解でも困る人はほぼいない。しかし、本質的には、ちょっと違うような気がしているのである。

普通に生活している人には天動説も地動説も同じだと思うよ。それは21世紀の現代でさえ。どちらでも特に生活の支障はない。NASAの人は困ると思うけどね。

天動説を信じている人に、地動説は理解し難いと思う。

参考
悪性症候群の謎(補足)
アトピーによる精神病状態
リーマス中止による奇跡的病状安定についての考察
精神症状身体化の謎