動物嫌い、再考。 | kyupinの日記 気が向けば更新

動物嫌い、再考。

137投稿者:kyupin  投稿日:2002年03月01日(金) 23時03分38秒
今日、夕方散髪に行った。いつも行く散髪屋さん。いつも刈ってくれている青年は、パソコンに詳しい。ホームページも一応あるという。最近、店に迷い込んだ犬の話で盛り上がった。よく馴れており人に飼われていたのは明らかだが引き取り手がないので、自分が市に登録したという。結果、自分の持ち物になった。とても大人しいし、ただの雑種ではないようで気品がある。

ところで、僕は犬もネコも嫌いである。ついでに言えば他の動物も概ね好きではなく、子供も嫌いである。キライだが、一応いじめたりはしない。動物は動物好きがわかるという。僕は嫌いなのに、いつもなついて好かれることが多いのはどうしてだ? 今日も僕の足のところにやってきて、体をスリスリしていた。よりによって僕の所に来なくても良かろう・・

なぜ、こんなに動物が嫌いかといえば、子供の頃から家には必ず動物がいて、これが嫌でたまらなかったからである。うちは家族全員、皆異常なほど動物好きで、僕だけが例外だった。これは遺伝しなかった。主に飼っていたのは、犬と鳥である。犬は座敷犬で鳥はいろいろな種類がいた。手乗り文鳥やインコが家の中を飛び回っており、犬もノソノソ歩いていた。こういう人間様と動物が同じ空間にいるのは、たまらない人にはたまらない。

大学に合格し、親元を離れた時はとてもうれしかった。動物と暮らさなくてよくなったからである。動物が家の中にいると、いろいろと嫌なことが起こった。昼寝をしていると手乗り文鳥がやってきて、目を突くのである。

「オメェー、今度こそ許さん。」とは言っても、殺すわけにもいかず、ちょっとつかんで軽く往復ビンタをしておく。敵は空を飛べるが、なにしろ手乗りなので簡単につかめるのである。

もし、殺したら・・その時は僕がオヤジに殺されたかもしれない。僕は、こういう異常なほど動物を愛す人々を普通の人とは見なさない。というのは普通の人間とコミュニケーションがうまくいっていないために、こういう一方的に愛せる動物に耽溺してしまうと考えるからである。

中学生の時、うちの中学校はお弁当を持参していた。何度か(おそらく2~3回) 自分の弁当のご飯のところに文鳥の糞が入っていた。動物好きのこういうミソも糞も一緒なところが嫌だったのである。

こういう事態になったのはオヤジが動物を家の中に野放しにしているためなので、抗議した。が、「栄養になる」とか言われ簡単に却下された。とんでもないオヤジがいたものだ。

親戚の間でも、この事態は憂慮されていたのは言うまでもない。というのは当時僕は内科疾患で入退院を繰り返しており、あの動物たちが原因では?と考えられていたからだ。おばあちゃんは僕のところにやってきて、この動物がすべていなくなれば健康になるかもしれない・・とか話したことがある。

後年、大学進学し家を離れてから本当に健康になったので、本当にかなりのストレスになっていたのかもしれない。これは最近思い始めたことだが、僕はウールと金属アレルギーが本当にあり、セーターも何でもは着られない。時計も高級品はダメで安物?のチタン性しか使えないのである。そんなこともあり、動物のストレス&アレルギー説を言っていた祖母の発言はおそらく正しいと思うのである。

僕が大学進学後は、何故か飼うのは座敷犬が主体になり、文鳥やインコはやめていた。盆や正月に家に帰ると、必ず座敷犬がいて普通なら部屋中が犬臭くなりそうなものだ。しかし、不思議と犬の臭いがしなかった。母親に聞くと、いつも犬の歯を磨いてやると部屋が臭くならないと言っていた。ふ~ん。そんなものか・・

数年前にオヤジは死んだ。肝臓ガンだった。若い頃結核の手術の際にC型肝炎ウイルスを貰い、そのために肝硬変になった。酒はむしろ弱く、あまり飲まない方だったが・・肝硬変は前ガン状態である。そのうちにキノコが生えるように肝ガンができた。(オヤジは若い頃に結核療養所に長く入院していたので、うちの家庭は子供が遅かったのである)

僕の出身大学は肝臓ガンの治療は少なくとも親元の県よりは進んでいて、高名な先生に紹介してもらう術もあったので、オヤジに言ってみた。「うちの県に来て入院したら・・」

オヤジは言った。「犬がかわいそうだし、ずっと家で治療する」 こんな風に言うものは仕方がない。溺愛する犬の方が自分の体よりは大切だったのだ。

オヤジの余命が見えてきたときに、犬も骨肉腫になった。これは珍しいのではないかと思う。犬にも骨肉腫のような病気があったのか・・結局、オヤジが亡くなったあと1~2ヶ月で後を追うように犬も逝ってしまった。まさに殉死したのである。

中学や高校時代、かなりオヤジには辛い思いをさせられたが、進学してからは特に喧嘩もせずに仲良くやった。車を買ってやったり、こずかいもかなりやったので、彼は僕について、こんな良い息子はいないなどと言っていたらしい。

オヤジは68歳で亡くなり、そう長生きはできなかったが、家族に迷惑をかけながら自分勝手に生き、しかも晩年には僕にこずかいをかなりもらったので、パフォーマンスとしてはわりと良かったのでないかと思っている。

僕は、おそらくオヤジが死ぬまでに新車も含め約600万円ぐらいこずかいを渡した。オヤジは死ぬ3日前まで車に乗っていた。つまり最後まで寝たきりの状態はなかった。これに関してのみ、母親にあまり迷惑をかけずに逝ったと思う。最後頃は薬も全然飲まなかったらしい。

それでもなお、いくつかこれは許されないと思ったことがある。(今でもそう思う)

ガキの頃に、ある朝、何か物が落ち、その音に驚いて手乗りインコが逃げてしまった。飛んで行った方角はわかった。オヤジは僕に命じた。「学校を休んで探して来い!」探しにいくと、本当に偶然だが、大きな岩の上にインコがとまっていて、不安そうにさえずっていた。この時はすぐに見つかってよかった。

高校の時に、せめて動物を外で飼ってくれないかと言ってみたことがあった。この時、驚愕すべきことを言われた。「それはできん。嫌ならおまえ、学校やめて働け!家を出て行け!」

とんでもないオヤジがいたものだな。高校でトップクラスにいるのによく言うよ。これだけ、自分中心に考えられるとはある意味すごい。

今、考えても、大昔ならともかく、あの時代にあれほど子供を殴った親父も少ないのではないかと思う。僕は鼻出血し易かったので、毎回、流血戦になっていた。ただ児童虐待とかそういう感じではなく、意味不明に殴ったのとは違い、あらゆる怒りの閾値が低いだけなのである。

僕は身長が現在179センチあり、小学校高学年になった頃、体格的に父親に追いついてきたため、ピタリと殴るのはなくなった。一応、敵も考えてはいるのである。僕はオヤジを殴ったことは一度もなかった。

時々、犬のブリーダーなどによる重大な犯罪が起こる。動物好きに悪い人はいないと言う人もいるが、ここで既に矛盾している。

精神科医になって5年目ぐらいだったろうか、ある総合病院に勤めていたときに、小児科にリエゾンで呼ばれた。相談の内容は、子供を虐待している夫婦がいて、面接してほしいということだった。その夫婦の子供は既に失明していた。体は健康になっても、おそらく視力は回復しないだろう。

面接の後、待合室を出たところにある渡り廊下で、ニコニコしながら、犬をあやしている夫婦を目撃した。その犬は小汚い野良犬だった。

聞くと、夫婦とも非常に犬好きだという・・・・・

そのとき、胸の中で叫んだこと。

アンタたちゃ、なんでそんなに犬を可愛がれるのに自分の子を可愛がれない。それは野良犬じゃないか・・なんでこんなことが起こるんだ。あんたたちの子供は一生、目が見えないんだぜ。

なんという象徴的な光景。

(2002年にアップした日記から。一部加筆)