火葬の1時間前に、長男・次男が昼寝をしてくれたので、私一人、箱の中に移したミッキーの体を拭き、水を口に垂らして沢山撫でて声をかけ、先にお別れの挨拶をしました。
若い頃は花の匂いをよく嗅いでいたので、花畑を歩いているような形で花を添えました。
火葬車には棺ごと入れられる訳ではなく、そしてあまり燃えにくい物などは入れられないとの説明を受けていたので、猫草、マタタビ、カツオブシ、ドライフードをティッシュでくるみ、私が学生の時に突然いなくなってしまった、ミッキーと仲の良かった息子のジジの写真を入れました。
ジジが居なくなった時は、必死にパパ(当時は『彼』ですが。)とビラを作って暇さえあれば探し回って。
何日かすると、近所の人が、数日前にアパート近くの車通りの多い道路で轢かれて倒れている黒トラを見たと教えてくれて。
でもその場所にはもうジジらしき猫の姿は無く、おそらく清掃車?に持って行かれたのではないかとの情報を入手したので、すぐ電話等で確認しても、いまいち所在がわからないまま、ずっとジジは帰っては来ませんでした。
写真を入れなくても、もう会っているかも知れませんが。当時のように仲良くしてるかな。
余談になってしまいますが、このジジを探しているときに出会ったのが、白黒の猫、『サスケ』です。
そして、他に箱に入れたものは、手紙。
ミッキーに感謝の気持ちや、よく頑張ったね等を書いたものと、動物界?の神様に宛てたもの。
『我が家の頑張り屋のミッキーをどうぞ宜しくお願いします』との旨を書き、ミッキーへの手紙の最後には、無意識に『母ちゃんより』と書いていて、ハッとし、号泣しました。
火葬の30分前にパパが半休を取って帰ってきてくれ、パパもお別れの挨拶をしていました。
火葬車が到着し、箱から出さなければならないので1度出して炉の前へ。これまで写真は何枚も撮ったけど、これが本当に最後なので、「写真をどうぞ」と言われ、数枚撮らせていただきました。
そして撫でながら、本当に最後のお別れ。
呼吸をし出すのでは無いかと思えてなりませんでした。
炉に入れられる瞬間、「待って!!」と言いたくなりましたが、止めておきました。
これでお別れなのかと思うと、たまらなく辛かったです。
火葬が終わるまで自宅で待機し、私は3階のベランダから、火葬車を見つめる事しか出来ず、煙は出ないけど車の屋根の一部から出る陽炎に、ミッキーが天に昇る姿を想像していました。
火葬が終わったとの連絡が入り、義父にも声をかけて、昼寝から起きたばかりの次男を抱いて、義父、私、パパで骨を拾いました。
小さな骨壺に入れられ、火葬はおしまい。
『もういない』という現実が辛く、とても苦しいです。
夜になり、長男が「ミッキー!!」と押し入れに向かい走って行って。
バン!と襖を開け、ミッキーが寝ていた毛布を引っ張りだして。
「ミッキーはもういないんだよ。今は骨になっちゃった」
と言うと
「ミッキー、かくれんぼ?」
と言う。
「これがミッキーの骨なんだよ。昨日死んじゃったから、骨になったの」
と言うと
「骨?がいこつ?」
「そう。骨。ミッキーはもう骨になっちゃっていないの」
と伝えると、3歳ながらも一瞬悲しそうな表情をし、悲しいという感情をどう表現したらいいのか分からないと見て取れる長男の姿を見て、長男はミッキーから学びを得たのだなと感じ、またその姿も悲しく、涙が出そうでした。
ミッキーに何とか生きて欲しくて揃えた、給餌に使ったシリンジ、唯一5日前まで自力で飲んでくれた水素水、カロリーをとってほしくて、流動食に混ぜた『カロリーエース』や病院で貰った薬、肝臓に効くタブレット。
そして、漢方薬はどうかと考え、ネットで動物用の漢方薬を売っている動物病院に購入したいと伝えた時に、善意で「状態からして、商品を買うより、米粒程の量のウコンを食事に混ぜてあげてください」とアドバイスをいただいたので、急ぎ買ってきたウコン。これは1回しか使えなかったな…。
そしてまだミッキーの匂いが残る毛布などなど…。まだまだいっぱい。
片付けてしまうのも辛く、出しっぱなし。
片付けるのが恐いです。まだ、認めたくない。でも居ない。
ずっとずっと一緒だったミッキー。
私が学生から社会人、就職して結婚して、転職して子供を産んで…。
ずっと見守ってきてくれました。誰よりも1番長く見てきてくれました。
そんな存在がもういない。
この悲しさをどうしたらいいのか分からず、本当に辛いです。
いつかきっとまた会えると信じたいです。