※これは1980年に先天性心疾患で生まれた女の子の母親が当時付けていた日記です。
時を経て、どこかの誰かの支えになると幸いです。
5月12日
外科回診。
水ぼうそうにはかかっていないいたいなので先生に聞いて隔離をはずすと婦長さんの言葉。
5月13日
内科検診。
T先生がナースセンターにこられたので主人がどういう具合かきく。
イワく、一年後に基準をおいて、もう一回グラロック(BTシャント)手術を行う必要がある。
でも身体も大きくなり、これからまずます運動量も増え、
チアノーゼがきつくなり、一年もたないようであれば、それ以前に手術をする。
運動があまりさせてはいけないし、歩く練習もほどほどに。
その前に本人がしんどがってやらないだろう…との事。
父が聞いに行ってたことに驚きである。
父は少し気持ちの表現が得意でない人で、
娘たちの事はかわいいし大切にしたいと思っている。
自分が健康で生まれ病気らしい病気をせず、大きな怪我もせず、
細身でありながら身体能力に恵まれスポーツはだいたいどれも人並み以上にできてきた。
それ故に、病気で生まれた私の事を多分誰よりも不憫に思っている。
(自分の事を優先しがちで、家族への思いが薄いように見えることが、、、だいぶ玉に瑕ではある)
勉強が苦手で、難しい話もあまり得意でない父が、医師に聞きに行ったのも、多分、不憫な娘の見通しを立てたかったのかな?
また手術をすると聞いて、父はどういう気持ちだったのだろう。
きっと物凄く肩を落として、悔しそうな顔して、私の事を不憫に思ってたんだろうな。