退院が見えてくる(’82,5③) | 昭和に生まれた心臓病の子の母の日記

昭和に生まれた心臓病の子の母の日記

44年前に先天性心疾患(肺動脈閉鎖を伴うファロー四徴症)を持って生まれた子(きゅう)を育てたきゅうの母が記した闘病育児日記を公開。
どこかの、誰かのためになるなれば幸いです。

※これは1980年に先天性心疾患で生まれた女の子の母親が当時付けていた日記です。
時を経て、どこかの誰かの支えになると幸いです。

 

 

 

5月9日

今日は主人(父)はゴルフへ。

N(きゅうの姉)は子供会の遠足へ。

三人三様である。

夕食もまあまあである。

外科の先生がそろそろ退院を考えているとか…。

 

 

 

5月10日 記載なし

 

 

 

 

5月11日

(心電図)モニターが取れている。又 退院に一歩近づく。

O先生が来る。主治医がYZ先生に変わったとの事。

薬も全部やめて今は風邪ぐすりだけになる。

多分来週位には退院できるだろう。

最近になってやっと術前の機嫌のよさが出てきたので体の調子がいいのだろう。

体重9350g いくらかは増えてる。

 

 

 

 

 

バブルが始まる約5年ほど前の話。

週末は会社の人とゴルフは日常で休日でありながら、仕事と同じようなものだったのだろうか。

母はよく「娘が入院してるのに、信じられない」と言っていた。

この先度々、どんな時でもゴルフに行っちゃう問題が多発します。

 

話は変わって、私の幼少の頃の体重はそれほど少なくありません。

ろくに食事を取らず(元々血流が悪く、食事をすると一気に血流が良くなり戻してしまうらしい)

ミルクもあまり飲まないのに、体重だけは健常児とかわらなかった。

4月18日に投稿した写真は乳幼児病棟で取られたクリスマス会のもの。

乳幼児病棟は基本的に1才までの心臓病児のみ。

周りの心臓病児たちに比べて1人大きい(細くない)私。

先天性心疾患で生まれたわりに体重が健常児並みにあったのも、

この先の様々なできごとを乗り越えられた一因だったのではと、母は言っていました。