手術前の日常パート2(‘82,3①) | 昭和に生まれた心臓病の子の母の日記

昭和に生まれた心臓病の子の母の日記

44年前に先天性心疾患(肺動脈閉鎖を伴うファロー四徴症)を持って生まれた子(きゅう)を育てたきゅうの母が記した闘病育児日記を公開。
どこかの、誰かのためになるなれば幸いです。

※これは1980年に先天性心疾患で生まれた女の子の母親が当時付けていた日記です。
時を経て、どこかの誰かの支えになると幸いです。

 

3月3日

ひなまつり

今年はひな段を飾る余裕がないし、かざらずじまい。

 

3月5日

きゅう診察。

入院が11日に決まっているとの事。

 

入院していたTAさんがきてくれる。

あれから急変する子や緊急の子が相次いで亡くなった子が4人いたそうだ。

短絡手術したTさんの赤ちゃんもなくなったそうだ。

可哀想ではすまされない。

一歩まちがえば我が身である。

 

でも短絡手術だけで顔色も良くなりチアノーゼもなくなり、大部元気になるそうだ。

きゅうも早く手術をして元気になってほしい。

 

3月6日

N(きゅうの姉)が団地(母の母の家)へ泊る。H(母の弟)がくるので喜んでいく。

 

3月7日

入院にいるきゅうの服を買う

 

3月8日

身体障碍者手帳更新中の仮更新の手続きをしに行く。

更新しているあいだの分をさかのぼって要求できるそうだ。

 

3月10日 

Nの懇談会 

 

 

3月5日の部分は分けるか迷いましたが、敢えて『日常パート』の中に入れました。

当時、地元の病院では見切れないと、当時出来て間もない国立循環器病センターに集まった子どもたち。

その子どもたちと、親御さん、そして当時の医療従事者の苦しい苦しい日々。

悲しいことに、子どもが亡くなることは、今に比べ特別なことではありませんでした。

医療がまだまだ未発達だった40年以上前の話。