きゅうの長引く咳(‘82,2②) | 昭和に生まれた心臓病の子の母の日記

昭和に生まれた心臓病の子の母の日記

44年前に先天性心疾患(肺動脈閉鎖を伴うファロー四徴症)を持って生まれた子(きゅう)を育てたきゅうの母が記した闘病育児日記を公開。
どこかの、誰かのためになるなれば幸いです。

※これは1980年に先天性心疾患で生まれた女の子の母親が当時付けていた日記です。
時を経て、どこかの誰かの支えになると幸いです。

 

2月4日

セキが止まらずだんだんひどくなるみたいだ。

(きゅうの姉の)先生が見舞いに来る。

いろいろと話をする。

最近はすっかり落ち着きて勉強しているとの事。

プリントもほとんどが100点だし、6才にしてはしっかりとした、何かちゃんとした物をもっているとか。

学校の授業時間位のつきあいしかないのにN(きゅうの姉)のもっている考え、態度を全部見抜いてる。

読書感想文も学校代表で6年生と最後まではりあっていたとの事。

家ではよくしかられるけども学校では優等生らしい。

 

2月5日

きゅうのセキがあまりにひどいので、T医院(近所のかかりつけ)へ連れ居ていく。

くすり3日分もらってくる。

N学校へ。

 

2月6日

Nバレエのレッスン

手術が延期になったとtel有り。

2月末or3月になるとの事。

やっと手術が決まったと思ったのに。

2月19日外来診察日。

 

 

母は自分が勉学優秀だった為か、子どもに求めるボーダーラインが高い人でした。

母の母は、大正の田舎生まれで学門に詳しくなく、早くに夫を亡くしたため朝から晩まで働いており、子どもに関わることができなかった。

母は鹿児島生まれの母に育てられた長女で、子供の頃から自分に厳しくあらねばならない人でした。

きゅうの姉はなんでもできて、なのに少しも偉そうではなくて優しい人なのに、もっと褒めてあげてよかったんじゃない?と思うと同時に、母も多分、祖母に褒められたことがなかったんじゃなかなと思います。