※これは1980年に先天性心疾患で生まれた女の子の母親が当時付けていた日記です。
時を経て、どこかの誰かの支えになると幸いです。
当時も現在と変わらず、先天性心疾患の赤ちゃんは乳児検診で発見してもらい、大きな病院へ案内されていましたが、私の場合中々大きな病院に辿り着くことができず、ファロー極型であることがわかるまで時間がかかりました。
その過程は後に記載されていますが、ここでは敢えて触れず、記載された古い日付から追っていこうと思います。
12月●●日
入院。AM10:00迄
12月●●日
カテーテル検査。この日、きゅう満1才。AM8:30ますい 検査室へ。9:00から検査。11:00過ぎに病室にもどる。点滴中、昼過ぎ泣き出す。きゅうの病気は、カテの後のますいが切て泣き出すのが一番危険※といわれ、湯冷ましをのませる。しばらく又寝る。※泣くことでチアノーゼが濃くなり、より酸欠状態になるため。
又 泣きだす。テスト的にミルクを100㏄のませる。 足らなくて又泣く 100追加。満足してねる。ミルクもあげないのでご飯をたべさす。※あげない…吐かない
わりと元気が良いので点滴を夜中はずしてもらう。でも酸素テントはそのまま。
※当時は酸素カニューラが無かった時代でテント状にしたビニールの中に酸素を入れる『酸素テント』が支流でした。
この時、きゅうのサチュレーションは80台後半が通常だっと記録があります。
カテーテル検査は医学技術が発達した今でも、危険を伴う検査です。
この時、両親がどのように説明受けたのか、日記にはかいてありませんが、初めての経験できっと不安でいっぱいだったでしょう。まさかこの先、十数回以上もカテーテル検査を受けるなんて思いもしなかったでしょう。