私って、おしりに火が点いてないからスローペースなのかも…と思いはせるユリです、こんにちは。
今朝は3巻の音読の録音をしていて、YouTubeにアップするのでPCでYouTubeを開いたわけです。
すると、おすすめ動画が出てきます。
そこに出てきた、ひとつの動画を見ていました。
一族の土地ほしい
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お隣さんも4巻の共感者がいいから、近隣の人分の土地もほしい
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そんな集落や村みたいなものができたら、集落の中央には学校とか広場とか共同施設があったらいいかも
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お金たくさんあったらとりあえず土地は確保できそう
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えっ、桁違いに稼ぐ??
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よし、見よう
見ました。
この動画はたぶん、桁違いに稼いでいる人の意識の在り方だと思うんですが。
一族の土地入手のイメージと重ねてみました。
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動画で見た、今より桁違いに稼ぐポイント
・自分だけが豊かになるよりも、みんなが豊かになっていく
・小欲から大欲へ
・1番が自分よりも、1番がみんなに変えていく
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動画ではフェラーリを例に話してますが、これを一族の土地で例えてみると…
「私が、一族の土地に住んでのんびり幸せに過ごしたいから、ちょっと誰か一族の土地を買うお金を出してよ。」
というと、たぶん集まらない。
「なんでお前がのんびり過ごすために、俺が一族の土地の金を出してやるんだ」
みたいになると思う。
だけども、例えば、
「養護施設の子どもたちに、
愛情ある家庭で幸せに生きる暮らしを提供したいの。」
「なんでかというと、
一族の土地構想には、夫婦や家族の愛が育める構造があるんだよね。」
「特に女の子は、結婚式とか、ウエディングドレスとか結婚に憧れるよね。」
「なんで一族の土地構想がステキな結婚式や夫婦の愛が育めるのか、
先人の人にはこういう知恵と仕組みがあるんだよ、という話をすると、
子どもたちの中から幸せな家庭を築く仕組みを理解する子が生まれるかもしれない。」
「もしかしたら、世界的に有名になるような絵に描いたような幸せな家庭を築く子が出てきて、
それが実は、日本人にも絵に描いたような幸せな家庭のモデルがいる。」
「そういった子どもたちが未来に出てくるかもしれない。」
「彼らの人生を輝かせるために、日本中の養護施設の人に見学にきてもらって、
子どもたちに体験してもらったり見せたりする。」
「そういう経験を積ませたいので、一緒にお金を出し合って、買ってもらえませんか?というと、
おそらく『それなら出してもいいよ』みたいな感じで思ってくれる人がいますよね。」
「だから、『自分のため』というとなかなかお金は集まらないんだけど、
みんなのため、
しかもそれをたくさんの人を喜ばせるためとなると、
お金って、集まってくるものなんです。」
「これが、一番が『自分』じゃなくて、
一番が『みんなへ』という考え方です。」
「みんなのためとなった通過点に自分がある。」
「たとえば一族の土地を、
いろいろな子どもたちに見せて幸せのかたちを味わってもらいたい」
「それが目的です。」
「ところが、全国に一族の土地を見せるために、
そう言った発起人が、一族の土地で実際幸せな生活を送らなきゃいけないわけだよね。」
「結果として、
一族の土地で暮らして幸せな生活を送るという
通過点になれるわけだよね。」
「で、もしこのプロジェクトがめちゃめちゃうまくいったら、
あちこちから引き手数多で」
「なんだったら、一族の土地全国10ヵ所くらい見せたいなとなるかもしれないよね。」
「そうすると、10ヵ所分の一族の土地が、
もしかしたら創られるかもしれないという。」
「ようは『みんなのため』というふうにしてあげると、
自分が通過点になります。」
「自分のためだと、お金の流れって少ないんだけど、
みんなのためだと、お金の流れというのは
とってもとっても大きくなるわけです。」
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うわあぁ…
こんなの実現したらきっと泣いちゃう。
この動画の例えの、
「フェラーリ」や「養護施設」の部分は人によって違う言葉が入ると思いますが。
私にとっては、これはしっくりくる言葉でした。
手紙のコンセプト、これでいこうかな。
もし養護施設の子たちに一族の土地を見学してもらうとしたら、どんな感じになるかな~。
イメトレ、イメトレ。